パングロス

秋刀魚の味 デジタル修復版のパングロスのネタバレレビュー・内容・結末

4.7

このレビューはネタバレを含みます

◎瓢箪先生見て娘の縁談、やもめ艦長酔いの孤愁

デジタル修復版(1962/2013年)による上映
*状態は頗る良好、セピアがかったカラーも味に。

再見です。

これも喜劇9割、シリアス1割の按配によるホームコメディ。

公開の翌年60歳で亡くなる小津の遺作となった作品。

『東京物語』に次いで人気があるようで、概要あらすじを詳しく記したサマリーや、読みごたえのあるレビューに事欠かない。

*1「秋刀魚の味」で検索、配役説明が詳しい
ja.m.wikipedia.org/

*2 松竹【作品データベース】秋刀魚の味
story が詳しい
www.shochiku.co.jp/cinema/database/03499/

*3 小津安二郎の映画音楽 Soundtrack of Ozu
秋刀魚の味
ストーリーが詳しい、野田高梧の談話が載る
soundtrack-of-ozu.info/ozu-archives/movie/259

*4 映画ナタリー 秋刀魚の味
解説が良い
https://natalie.mu/eiga/film/116104

*5 MOVIE WALKER PRESS 秋刀魚の味(1962)
ストーリー、キャストが詳しい
moviewalker.jp/mv20710/

プロットは、妻に先立れた父親(笠智衆)が、自分の世話を焼いてくれている24歳の娘(岩下志麻)を結婚させる話。

しかし、娘の結婚式の日もラストで描かれているというのに、新郎の姿はついに画面に登場しない。

主役は、あくまで笠智衆演ずる老いを感じ始めた父。

最初は、まだ早いと言っていたのが、ある切っ掛けから娘の結婚を急ぐ気になり、覚悟はしていたはずが、嫁にやった式の晩にひとり塩っぱい酒に酔う、というのが真のテーマ。

だが、湿っぽくなるのは、全体のほんの僅か(たぶん2%未満)で、あとはゲラゲラ笑える楽しいコメディがストーリーを運ぶ作りになっている。

だから、「小津映画なんて、興味はあるけど、何となく敷居が高そうで、ついつい敬遠してしまって」いたような人こそ、初オヅ体験に、『東京物語』ではなく本作を選ぶのも吉と出るかも知れない。

ただし、プロットそのものがそうであるように、肉親も、知人も、平気で他人の内心に介入して、結婚させようとするし、コンプライアンス意識なんて生まれる前の時代だから、男どもが女性に平気でセクハラ発言をしては大笑いしたりする。

そこんところは、日本人のこの数十年での変化やら、進化やら、変貌やらの勉強だと思って、呆れながら眺めれば良いと思う。

‥‥ということで、作品の主役は、明らかに笠智衆演ずる平山周平だが、本作は彼のベストアクトという訳ではない(『父ありき』がベストアクト)。

いや、本作の笠智衆が良くないということでは全くない。
笠は、俳優として、もはや老いの存在感だけで魅せる演技にシフトしている。
そして、ストーリーを運ぶ役目は、笠一人ではなく、戦後の小津映画定番のお笑い三人組、本作では、河井秀三(中村伸郎)、堀江晋(北竜二)、そして平山周平(笠智衆)という東京帝大時代からの悪友トリオのアンサンブルが狂言回しとなっているのだ(*6)。
とくに、若いタマ子(環三千世)を後妻として、残り二人から盛んに冷やかされる堀江の鼻の下が伸び切った様がステキに可笑しく、『秋日和』(2024.3.31 レビュー)と並び北竜二のベストアクト、本作の殊勲賞である。
*6 下記も、癖があるレビューだが、
「クレジットタイトルでは笠智衆、岩下志麻、佐田啓二、岡田茉莉子…の順でクレジットされているが、実際は笠智衆、中村伸郎、北竜二が事実上のメインキャラクターみたいなものである。」
と指摘している。
◇シネマ一刀両断 2020-06-23
秋刀魚の味
hukadume7272.hatenablog.com/entry/2020/06/23/062501

事ほど左様に、本作の良さは、傑出したアンサンブルの見事さにある。
どの役も、どんな端役まで、‥例えば、お笑い三人組にセクハラ天丼される若竹の女将高橋とよ、に至るまで、配役の穴というものが見当たらず、ところを得て自在な可笑し味の演出に貢献している。

こうしたアンサンブル・コメディとしてのほどの良さに、もう一つ貢献しているのが、小津作品の常連、斎藤高順による軽快な音楽だ(*8)。
『お早よう』のレビュー(2024.3.25 投稿)で、作曲家として一流の黛の起用は失敗だったと評した。
直接『お早よう』の音楽に限定して言っている訳ではないが、坂本龍一もほぼ同じ意見を述べている(*7)ことを知って、我が意を得たりであった。
*7 小津安二郎学会 001 坂本龍一インタビュー
www.ozuyasujiro.jp/001

*8 軽快な音楽とコミカルな演出の中に老醜を描き出した『秋刀魚の味』(1962)
シネマトゥデイ 2015.8.25
www.cinematoday.jp/news/N0075229

また、本作では、もう一つ重要な役目を果たす音楽として、岸田今日子がママを演ずるトリスバー《かおる》(*10)にて、まずレコードで流され、やがて酔客の坂本(加東大介)と平山(笠)が合唱する《軍艦マーチ》を挙げなければならない。
駆逐艦《朝風》の一等兵曹だった坂本の口から平山が元艦長だったことが明かされるが、敗戦に終わった大戦の評価について二人が意見を交わすシーンは重要だ。
やはり小津の本音は、戦争は良くなかった、日本は敗けて良かった、という平山の述懐の方にあるとするのが正解だと思う(*9)。
ところが、斎藤高順の子息斎藤一郎の文(*10)であろうか、全く逆の解釈に立つ意見を開陳する向きもあり、この点、充分に注意を払わなければ危険である。
*9 【内田樹】小津安二郎が男たちに送る「大人になれよ」というひそかなメッセージ──みんなで語ろう!「わが日本映画」
www.gqjapan.jp/culture/article/20210223-movie-tatsuru-uchida

*10 小津安二郎の映画音楽 Soundtrack of Ozu
『秋刀魚の味』と「軍艦マーチ」
#トリスバー《かおる》を三軒茶屋にあるとする
soundtrack-of-ozu.info/topics/3017
 ※前出*6も本シーンを写真入りで愉快に紹介

そうそう、最大のネタバレになるが、
本作最良の演出は、泥酔して我が家に戻り、
次男に「早く寝ろ」とドヤされながら、
礼服姿のまま《軍艦マーチ》を一くさり歌ってから、
「ひとりぼっちかぁ‥」
と、ひとりごちると、
軽快な斎藤高順の音楽が始まり、その音楽が《軍艦マーチ》を長調にアレンジしてなぞるエンディングのシーン。

哀しさを軽快な音楽で演出する斎藤高順の巧みと、
本作に暗い縁取りを加えた《軍艦マーチ》の融合、
あまりも見事な有終の美である。

ロケ地の特定だが、平山幸一(佐田啓二)と秋子(岡田茉莉子)夫妻が住むアパートは、東急池上線の石川台駅(*11)が映されるから大田区雪谷あたり。
*11 小津安二郎の散歩道:石川台
織田城司 2019.4.4
j-gentlemanslounge.com/traveling/40412

だが、冒頭の紅白縞に塗られた5本煙突が印象的な工場のある周平(笠)が勤める会社は、森永製菓の看板も登場するから川崎の工業地帯であろう(*12)。
*12 五反田から池上線。東海道線で平塚と大磯。長谷川りん二郎展のこと。
foujita 2010-04-17
foujita2003.hatenablog.com/entry/20100417/p1

YouTube には全編ノーカットは流石にあがってないようだが、松竹公式チャンネルが当時の予告編(*13)を出してくれている。

現在の予告編と違って、ネタバレ丸出しだし、
「映画界の至宝小津安二郎監督が、全生命的意欲をもって贈る」とか、
「格調高き小津芸術の感動の巨編」とか、
とても小津本人が認めたとは思えないクサいナレーションがウザいけれど、
全編の見どころを要領よくまとめてくれてはいるので、お試しで覗き見するには、ちょうど良いかも知れない。

*13 『秋刀魚の味』予告編 / 小津安二郎監督作偉大なる映像作家・小津安二郎の遺作
松竹チャンネル 2008.7.31
m.youtube.com/watch?v=kp2S77LARkg

あとは、補遺的に。

小津映画あるあるのラーメン屋は、漢文教師ヒョウタン佐久間先生(東野英治郎)が娘伴子(杉村春子)と営む《燕来軒》。
本来、この店で坂本(加東大介)が注文を撤回したのは、サンマーメンだったというエピソードがある(*14)。
*14 小津安二郎の映画音楽 Soundtrack of Ozu
「秋刀魚の味」にサンマが出ていた?
soundtrack-of-ozu.info/topics/1254

あとは、佐田啓二と岡田茉莉子が住むアパートで、
ソプラノによる声楽の発声練習と続いてジョルダーニ作曲《カーロ・ミオ・ベン》が聴こえてくるとか、
佐田がキッチンに立って「ハム玉」(ハムエッグ?)を作るとか、
佐田が(だったと思うが)《燕来軒》のことを「チャンそば屋」と言うとか、
小学校の校舎を映して、ちょっと上手過ぎてプロの合唱団でしょの《もみじ》が聴こえてくるとか、
トンカツ屋の看板文字は小津本人のデザイン(『大全』)とか、
ぐらいですかねぇ。

まぁ、三軒茶屋かどうかに限らず、トリスバーってのは当時の流行りで、昔はテレビでもトリスのCM盛んにやってましたしね。

そうそう、下記の金原由佳さんのエッセイ(*15)で、
「冒頭の場面では若い妻をもらって、冷やかされていた男が、中盤では突如、死に、その葬式の打ち合わせの場として同じ料亭で淡々と飲んでいる」
というのは間違いですね。
先に飲んでいた中村伸郎と笠智衆が示し合わせて、あとから来た後妻ベタ惚れの北竜二を死んだことにして高橋とよの女将にいっぱい食わせた訳でしたから。
重箱隅にて相すみませんが。
*15 小津安二郎監督の『秋刀魚の味』は、なぜ秋刀魚も食べずに酒ばかり飲んでいるのか?
金原由佳 2017.10.25
www.leon.jp/lifestyle/6714

それから、『小津安二郎大全』P.494下段に、
「中村伸郎のオフィスにも橋本(明治=本作で字幕衣装装飾も担当した画家)の絵画「石橋」が飾られ‥‥「石橋」は中国の伝説を題材にした絵で、その獅子の姿は歌舞伎「鏡獅子」の元になった」
と説明されているのは間違いではないものの相当に不正確。
本作登場の橋本明治による絵は、中国の伝説を題材にした能「石橋(しゃっきょう)」を描いたもの。この能を元に「鏡獅子」などの歌舞伎の「石橋もの」が作られた、とするべきところ。

うむ、今回、やたら引用ばかりになってしまったので、最後に感想に戻ります。

いやぁ、本作、基本コメディなんですが、中盤ぐらいから泣けて泣けて仕方がなかったです。

他の小津作品と違って、自分が生まれた頃の、観たら、かなりが見覚えのありそな映像、そしてロケ地も‥‥
ということで、他人の話じゃないような気になって来た、ということもありますが‥‥

最近『52ヘルツのクジラたち』(2024.3.29 レビュー)で大いに泣かされて、
「すべての家族は呪いであり、呪われていない家族などないのだ」
といった感想を投稿した訳です。
人は、いかに「家族という呪縛」から逃れようとするのか、そのことで自立を勝ち取っていく存在なのか、という意味のつもりでした。

ところが、親父たちはセクハラし放題、二言目には「結婚はしないのかい」で一見がんじ搦めだったと思われている、昭和の世界。
その父権主義が骨身に染み付いた親父たる笠智衆が、老いを自覚しながら、精いっぱい、我が娘を、「家族という呪縛」から開放しようと、文字どおり骨身を惜しまず尽力するのが、本作のストーリーだったのですね。

その父親の健気さ、哀れさこそ、小津が描きたかったもの。

もちろん、娘側の心理についての描写は不充分だし、結婚する相手に至っては全く出てこないのだから、娘が本当に結婚を自分の意志で選び取ったかどうかは本作では確かにわからない。
でも、最初は自分でも「結婚しなくていい、お父さん、どうするの」と言っていた娘を、父親が説得して、我がもとから旅立たせていったことは事実です。

このことに気づいたとき、いつの時代も、人びとは「家族という呪い」に苦しめられ、いかにそこからの開放を遂げようと努力したか。
小津作品のほとんどが、このことを描いていることに、そして、小津という人が生涯独身を貫きながら、この切迫したテーマを追い続けたことに気がついたとき、最早、滂沱の涙をとどめることはできませんでした。

まぁ、もちろん小津の、時代の、限界はあります。
いかず後家(あえて使ってしまいます)にしてしまったと悔恨する対象の娘と二人、不如意の不味いチャンそば屋を営む老教師。
本作では、「こうはなりたくない」という、笠智衆と岩下志麻の父娘の陰画として描かれる。

だけど、現在なら、この東野英治郎と杉村春子の父娘こそに焦点を当てるはずだと思うんですね。
小津本人が、原節子が、そうであったように、老いて、連れ合いなくして、いかに幸福に生涯を終えるか、を。

しかし、そのあたりは、もう我々自身が考えるべきことですね。

まずは、小津映画の豊穣を、笑いながら楽しもうではありませんか。

【参考】
生誕120年
没後60年記念
小津安二郎の世界
会場:シネ・ヌーヴォ 2024.3.2〜2.29
www.cinenouveau.com/sakuhin/ozu2024/ozu2024.html
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