小津作品の魅力と言えば、小津調による撮影と、親子の情という時代を超えた普遍的なテーマにある。
遺作である本作もそれらは健在で、座敷で食事するシーンにおける手前に卓とそこに乗った醤油?が映りこむ手法等はその典型。路子が嫁いで去った後に部屋を順に映すシーンは、余韻を感じさせるものだ。
また、自分が不便な想いをして寂しくもあるのに、娘のためを思って嫁に出すという展開も、子が独り立ちしていく小津らしい脚本だ。
一方で少々の変化も感じられた。人物が向かい合って会話しているようなシーンでは、アップを頻繁に切り替えるような手法が目立った。
また、過去作品では、芝居は控え目にして撮影の効果でドラマを演出することが多かったと思う。しかし、本作では笠智衆の父親という何度も見た役が、珍しく心底寂しさを強調した演技をしていた。娘が嫁に行った夜の彼は、その表情と立ち並ぶネオンの風景があわさり、哀愁を感じさせた。
佐久間によって強調された失敗と、彼が語る「結局はひとりぼっち」という思想が、孤独な父親を通して描写される。
基本的には小津らしさを感じられて好きな作品だが、(彼の中では)新しい作品であることから気になる点もあった。
古い作品であれば、今だとあまり実感のない描写も、時代が離れているからと納得しやすかった。しかし、本作は時代が近い上に微妙に想像ができてしまう。それゆえ、そこへの共感がしにくい点が感想に結構響いてくる。
例えば、男性からの女性の扱いには、男尊女卑が見受けられる。もちろんそれは時代によるもので、今ならセクハラだとか高圧的だとか言う気はない。しかし、ある程度は想像できてしまい、ちょっと嫌な気になるのも事実だ。夫婦のギスギス等もそれに当たるだろう。
また、縁談を周りが決めるとか、それによって誰が誰を好いているかを他人が詮索するといった展開も、今では実感しにくい要素だ。これらもやはり想像はできてしまう上、違和感があっても本作の肝になる点であるため無視できない。
逆に、そうした要素を扱い、路子の失恋という展開までありながら、決して恋愛ものにはならないバランスは好ましいのだが…
それに、風景もやはり現代に近づいており、風景や文化という点でも魅力がやや減少したように思う。もっとも、今でも続いている企業の名前があったりする点は興味深いと言えるが。
小津らしい作風で、孤独をより強調した本作もまた魅力的だった。一方で、時代の新しさを良くも悪くも感じさせる作品でもあった。