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不安な質問
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『不安な質問』に投稿された感想・評価

中之島映像劇場「映像のアルチザン―松川八洲雄の仕事―」にて再見。戦後のドキュメンタリー映画史において最も鋭い知性で日本人の共同体を撃ち抜いた作品だと確信する。筑波山の麓で俗世を離れて生活したたまごの会の生活に監督の松川自身が足を踏み入れながらも、タイトルが掲げるように、彼らの独自の共同体を理想郷として描き捉えることに松川は疑いの眼差しを忘れない。
何もない場所から掘り起こされた土器を軸に、再びそこに人々の生活が芽生えていくこと。目の前には見えなくとも確かに存在したであろう死者たちの痕跡(その生活はなんらかの要因で途絶えたのだろう)との連続性を松川は決して見逃さない。
映画が終わりクレジットも出た後に再び鶏の卵が生まれたことの余韻は決してユートピアが再生したことを高らかに誇るものではない。たまごが生まれるとき、それは母体からの離脱の意味が内包される。松川はたまごの会に属しながら彼らの行先をどのように見つめていたのか。そのヒントにこの映画のクライマックスは用意される。

農場建設の最後に残った壁板が剥がされ、たまごの会の人々が「あきましておめでとう」とカメラに向かって挨拶するときの前進移動。それに続く農場建屋の全景と建物の前に並ぶたまごの会の人々を捉えた車からのPOVショット(それは次第に人々から遠ざかる)。その次のカットでは若者が1人インタビューに応じる姿を横から捉えた単独ショットに転じ、彼が語り終えると鶏舎とその中の雄鶏の移動が捉えられ、食堂の中へとカメラが移ると室内に掲げられたブリューゲルの「農民の踊り」がモンタージュされる(紛れもなくデクパージュではない)。

このブリューゲルの絵が、たまごの会において泥土を踏みながら戯れる元都会育ちの人々が筑波山の麓を新たに生活の軸として切り開こうとするときの喜ばしい顔つきを想起させるものであることは疑いがない。
しかし絵画それ自体は切り取られた世界、すなわち特定のフレームに選ばれ、フレーム外の社会から離脱した世界として屹立していたものであるが、その絵画が現実世界と松川のモンタージュによって(もしかしたらたまごの会の食堂の壁と一緒に映された段階で)並立の関係で示された瞬間にそれ自体で完結していたはずの絵画はフレーム外のたまごの会の社会と接続の契機を持つ。
その時、あらゆる眼差しの対象でありながらもフレームの中に閉じ込められていた絵画の世界は外的なたまごの会と対峙をし、たまごの会の人間が見出したヒビ入りの土器を用いた人々の社会をも想起させる。そしてたまごの会もまた、絵画と同様にあらゆる眼差しが注がれる対象として見做されてしまう。
車に乗るカメラマンを見送ったとしても、たまごの会の人々は必ずどこからかの眼差しによって捉えられる。その瞬間の恐れと慄きを克明に描き込んだ松川の鋭く強烈な知性に打ちのめされる。

簡単に読み下した気になることを自戒させる見事な批評性に背筋が伸びた。
mingo
4.1
2020.2.1映画アーカイブ
「戦後ドキュメンタリー再考」

消費者自給農場「たまごの会」の記録。会員たちの自主制作でスタッフのギャラは農場の作物という限界ギリギリ加減。消費者が茨城県八郷町に自分たちの農場を建設、作り運び食べることで日本の農作ないしは食べる事とは何かを問う。大家族のような農場の宴会で歌謡曲「ラブユー東京」を大合唱するシーンは忘れがたい。
町蔵
4.0
《JAPAN》(16mm/1973年/80分)※デジタル上映

《不安な質問》(16mm/1979年/85分/国立映画アーカイブ所蔵)

特別講演
「ドキュメンタリーの詩性に向かって NFAJ所蔵松川八洲雄資料を読む」
講師:岡田秀則(国立映画アーカイブ主任研究員)