『上飯田の話』に次ぐ上飯田ムービー。そろそろ上飯田が身近な存在にすら見えてきたところすらある。とにかく切り返さないので、手前でウロウロする役者3人より、場所が主体性をもって浮かび上がってくる感覚すら…
>>続きを読む人が住む、小さな記憶が集まる、そして大きな「団地」になる。
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他人として、他人を語る。
そのあとに、自分に残るもの。
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他人と自分との境界が曖昧になる。
フィクションをドキュメンタリー…
ここまで日常を見ているようだと、映画との境目が曖昧な感覚あって、例えばハリウッドの大作見てる時って明らかに自分の存在が消えて鷹の目視点になったり、感情を登場人物に重ねたり、映画の中に自分はいないもの…
>>続きを読む始まりはセリフ棒読みなのが気になっていたけど進むうちにそれが気にならないくらい面白くなっていった。
映画というより展示の構成から成果までを映像で体験している感覚。
街の人の体験を採集して、1人の人に…
冒頭の非日常感から実験的な71分
情報過剰な商業娯楽作品に対するアンチテーゼな作品。どれだけ地味な映像を「面白がれるか」観客を試す🤔
昔の街の記憶の採取。
昭和の時代は団地に商店街があり、子供がた…
最後神輿おきっぱのがよくない?
見えない過去を音声によって想像することと、見えない未来を音声によって想像することの希望的対比を強調してほしくなっちゃうのはおれが楽観的人間すぎるから?しらんけど……
…
人の記憶に対しての向き合い方が、結構しっかりふたりの登場人物の間で違う感じがした。
音が先に来るのか、情景が先に来るのか。
(実際に喋る人を見てる見てないがあるから、当たり前なのかもしれないけれど)…
台詞、台詞、台詞
台詞のやり取りの多さ
耳心地の良いものではなく聞き疲れる
小説でやればいいじゃん
変わり映えしない画を観続けるしんどさ
映画における「映像の新鮮味」の大切さがよく分かる
あと、藝…