サマセット7

マイノリティ・リポートのサマセット7のレビュー・感想・評価

マイノリティ・リポート(2002年製作の映画)
3.7
監督は「ジョーズ」「E.T.」のスティーブン・スピルバーグ。
主演は「トップガン」「ミッションインポッシブル」シリーズのトム・クルーズ。
原作はフィリップ・K・ディックの同名の短編小説。

2054年アメリカ、ワシントンD.C.。
3体のプリコグ(夢遊状態の予知能力者)による未来予知を利用した殺人予知システムが5年前に実用化されたことにより、多発化していた首都の殺人の発生率は0%に激減。
首都の実績をもとに、全国的なシステムの採用が秒読み状態となっていた。
システムを利用して殺人を「事前に」取り締まる犯罪予防局のチーフであるジョン・アンダートン(トム)は、6年前に息子が行方不明となった過去を振り払うように、「未来に殺人を犯す者」の取締りに没頭する。
システムを取り込もうとする司法省の調査官ウィットワー(コリン・ファレル)が局に視察に訪れ、ピリピリした空気が満ちる中、システムは新たな殺人候補者を告げる。
その名は…、「ジョン・アンダートン」???
自分が殺人など犯すはずがない!!
当局から逃げ、冤罪を晴らさなくては!!
アンダートンの苦難に満ちた逃走劇が始まる!!!

SF史上最も重要な作家の1人、フィリップ・K・ディック原作。
2度アカデミー監督賞を受賞し、2002年当時すでにハリウッド最強の娯楽フィルムメイカーであった、スティーブン・スピルバーグ監督。
エキセントリックな言動をバッシングされる前の、アクションスターとして輝いていたトム・クルーズ主演。
インデペンデンスデイやマトリックスなどの大作SF映画がヒットした時代を後押しにして、ヒット確実な布陣を敷いた作品。
1億ドル強の予算をかけ、世界で3億5000万ドルの興行収入を上げた。
一般人の評価は分かれる傾向にあるが、評論家からは高い評価を集めている。

フィリップ・K・ディックは、ブレードランナーの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、歴史改変SF「高い城の男」、2度の映画化原作の「トータルリコール」など、人のアイデンティティを揺さぶる作品を多く書いた作家。
映画である今作と、原作短編は、「プリコグによる未来予知を利用した犯罪予防システムが、殺人を取り締まる側の主人公の殺人を予知する」という点や一部のキャラクター名は一致するが、それ以外のストーリーは完全に別物。
原作の方はよりコンパクトでロジカルな、思考実験的な作品になっている。
星新一作品のテイストに近いか。
ディストピア社会による市民の監視統制の危険性をSFを通して描く、というアイデアは、さすがディックである。

今作には、ジャンルが詰め込まれている。
SF。アクション。そしてミステリー。
尺は145分。これはいかにも長い。
スピルバーグとトム・クルーズのサービス精神が爆発した、てんこ盛りフルコースな作品となっている。

SF的世界観の作り込みは、今作の最大の見どころだろう。
現代と地続きだが、いかにもあり得そうな近未来のガジェットは、スピルバーグが各分野の専門家によるシンクタンクを結成して作り上げた逸品。
網膜を使った生体認証、VR映像、自動運転、個人の嗜好にマッチングした広告などなど、2021年の現代においてすでに実用化されているが、2002年時点では影も形もなかった技術がたくさん描かれている。
VR技術がエロ方面に応用されているシーンは、まさに「予言」である。
空間を利用したパネル操作、脳のイメージの映像化なども、研究レベルではすでに形になりつつある、と聞いても、今では誰も驚くまい。
ブレードランナーを意識したと思われるやや暗いトーンの映像や、特徴的なスパイダーなどのマシーンなど、次々と繰り出されるアイデアの連続を眺めるだけで、十分今作を楽しむことは可能だろう。

現在、決死のスタントをかましまくり、狂気一歩手前のアクション俳優として名声を集めるトム・クルーズだが、19年前の今作でも安定のアクションを披露してくれる。
追い詰められ、そこから吹っ切れる演技はトムの十八番だが、今作はまさにそれである。

映画の神様スピルバーグだけに、演出面も優れたものがいくつも観られる。
日常風景に、突然出現する犯罪予防局の武装チーム!!
冒頭の取締りシーンからして、非常にワクワクさせられる。
アンダートンの「未来殺人」発覚後は、逃走劇が続くが、様々なアイデアにあふれ、飽きさせない。
特に中盤、ある人物により現在と未来が交錯する場面は、今作の白眉だろう。

中盤の山場で、今作の面白さは頂点を迎える。
その後のミステリー的な風呂敷畳みについては、好みが分かれるだろう。
個人的には、今作のSF世界描写、アクション描写、逃走サスペンスのレベルの高さと比べて、終盤の展開はやや消化不良であった。
爽快感も絶望感も驚愕もなく、「ああ、そうなんだ、ふーん」という感じだろうか。
どうせなら、ディストピアSFらしく、徹底的に観客を突き放してくれても良かったと思う。
それができないあたり、良くも悪くもファミリー層を意識しないわけにいかないスピルバーグ作品の限界ということだろうか。
あくまで好みの問題だが。
結果として長尺が蛇足に感じられてしまった。

今作のテーマの一つが、国家権力による監視社会に警鐘を鳴らす、という点にあることは間違いない。
原作と異なる映画オリジナルの展開は、よりこのテーマをクリアにしている。
犯してもいない罪で収容される「犯罪候補者」の扱いや、プリコグと言われシステムの一部であることを強いられる未来予知者の境遇など、原作の設定は掘り下げられ、このテーマに沿って理解できる。
前述の終盤の展開も、このテーマの表現と捉えると納得できなくもない。
今作発表の前年、アメリカで9.11として知られる同時多発テロがあり、世界を震撼させた。
その影響下で、対テロの名目で国家による個人の監視の目は急速に強化されつつあった。
今作は、そうした流れに対する批評性がある。

実はプロコグは、陪審制のメタファーでは?と考えるのも面白いかもしれない。
そう考えると、今作のテーマは、人が人を裁く際に確実に入り込む誤りのリスク、なのかも知れない。
マイノリティリポート、すなわち少数者の報告、というタイトルの意味も、そう考えると意味を持ってくる。
少数者の権利保護の観点から、司法は、立法、行政から独立した地位を保障されている。
独立した司法に、市民を参加させて、民主主義のコントロールを及ぼす、というのが陪審制の発想だ。
しかし、民主主義イコール多数決となった場合、そもそも司法が守るべき少数派の人権擁護と、両立可能だろうか。
切り捨てられる少数派の意見(マイノリティリポート)の中に、実は真実が隠されているのではないのか??
これはこれで、興味深い観方だろう。

思考実験として、今作、あるいは原作の犯罪予防システムは、司法制度として成立し得るだろうか。
犯罪の予知が将来にわたって確実であることをどのように担保するか、予知自体や媒介する機械類、あるいは執行する人に由来する瑕疵が入り込む余地がないか、は当然問題になるだろう。
ここで誤りがあり得るなら、そもそも話にならないはずである。
次に、システムが無謬であるとしても、現実に起こっていない犯罪をもって、人を裁くことができるのかという点も問題になる。
その人の可能性を裁くのだとすると、本質的に、過去の人類が繰り返した優生思想による弾圧の歴史と変わらないのでは?
やはり、人が裁かれるのは、結果に責任を負うべき時に限られるのでは?
では、現実に罪とされている未遂犯や予備犯と、「未来殺人」とはどう区別されるのだろうか?
危険の惹起が行為によって現実化したか否かで区別されるべき、というのは一つの有力な考え方だ。
そうすると、ギリギリまで待って、行動を起こした時点で捕まえれば、今作の犯罪予知システムもありだろうか?
囮捜査と同様の別の人権問題はありそうだが。
より穏当に、事前に手紙でそっと加害者予備軍に教えてあげるというのはどうだろう。その時点で、確実に未来は変わるだろう。
ただ、それはそれで、国家が個人の可能性にそこまで干渉していいのか、という問題があるようにも思える。
一方で、被害者視点では、中途半端な方法を取ると殺人のリスクを完全には除去できない、という点も問題だろう。
では、殺人のみならず、性犯罪や財産罪はどうか?子供を対象とする犯罪なら?
仮に未来殺人容疑で逮捕したとして、その後はどう処分するのかも問題になる。教育プログラムでも受けさせるか?
このように、考えを進めると、なかなか興味深い題材ではある。
だからこそ、アニメの「PSYCHO-PASS」など、同じようなアイデアで多数の作品が作られているのだろう。

多様な要素が盛り込まれた、巨匠とスターのコンビによるディストピアSF大作。
なお、スピルバーグとトム・クルーズがコンビを組んだのは、2002年の今作と2005年の「宇宙戦争」の2作品。
共にスピルバーグ作品にしては評価の分かれるSF大作だが、監督と主演俳優の相性について考察するのも一興だろう。