『ぼくが生きてる、ふたつの世界』劇場で見られて良かった。ここまで抑制した語り口だと、コーダのドラマを探すのではなく、何気ない表情、台詞、後ろ姿、背景に人生を見る映画になる。もうすべてのエピソードが愛おしい。終盤、この作品に一つだけある仕掛けに、最近なかったくらいに胸の奥をギュッと強く掴まれた。劇場で無音のシーンで慟哭を抑えながら見る作品だろう。いや、ほんとは最初からずっと泣いていた。
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『ぼくが生きてる、ふたつの世界』呉美保監督の手腕はさすがで、見やすい家族ものの中でも、静かに強く語っている。障害でのドラマを期待してると、身に覚えのあるものばかりで、「どこの家族だって何かしら問題があるのでは」という父親の台詞に気付かされる。そう、特別な視点で人を安易に区別することを拒否する作品だった。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』子役たちが驚くほど似ていて、全員吉沢亮になるとしか思えない。その吉沢亮のやさぐれ感は(美し過ぎるが)ハマり役。反抗期からしばらくは、母親に気安くぶっきらぼうに当たり、父親とは稀にだし横並びで見合わないというのが、あの年頃の息子らしい。両親役の忍足亜希子、今井彰人も好演で、3人の相性も良かった。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』若者の上京物語でもあった。大都会の多様さ、広さの中で自身のちっぽけさを知る。何ものでもない侘しさと、何ものにもなれる可能性を纏った無防備なその姿。古くは漱石の三四郎から、青春の門、蛍(ノルウェイの森)、東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜、横道世之介、福山雅治トークなどたくさんあって、本作もそうだが、実体験が元だと説得力があり、好きなジャンルだ。