スズキ

フジヤマコットントンのスズキのレビュー・感想・評価

フジヤマコットントン(2023年製作の映画)
4.5
良かった。
後々、世界的に語られていくレベルの傑作。

山梨県にある、障害者施設の日常を撮ったドキュメンタリー。

例えばヨーロッパに行った時に、小雨だと誰も傘をさしてなくて、確かにすぐ乾くなら傘をささなくてもいいんだと考えが変わったり、南米に行った時にトイレットペーパーを水に流すのがNGだと教わり水洗トイレの国の方が少ないことを知ったり、そうやって疑いもしなかった生活の当たり前が当たり前ではないことに気づくのが海外旅行の楽しさだと思うんだけど、この映画にも似たような発見がたくさんあった。

私たちの社会にはコミュニケーションのコードがあって、それを使ったら楽なんだけどそのせいで失うものもある。でも便利だから考えもなく今日も使ってる。
本作では、全然別のコード(胸を叩くとか)だったり、共通の社会的なコードがないコミュニケーションが映っていて、自分が当たり前だと思ってるものがそうではないことを何度も思い出してた。身近なところにこんな世界があるんだ。私はこういう体験がしたくて映画館に足を運んでいたんだと久しぶりに思い出した。

いかにも癒し系な音楽とか、意図不明な短歌とか、性やお金のことが全く描かれなかったり、観客のみたいものだけをトリミングして見せているように感じるところとか、まあいけすかないところもたくさんあるんだけど、感動してしまったのも事実で、悔しいけど素晴らしかったです。

撮影は3人で、その中に結構喋ってる女の人がいたんだけど、それがよかった。撮影してる側の声が入るだけで、トーンとか言葉遣いで、被写体との距離が割と伝わるからこういうタイプの作品だとむしろ必要な効果が出てた(同時に声って怖いなとも思った)。
ドキュメンタリーは意図しないものが映るから作ってる側からすると怖いけど、この映画からは被写体を尊重している感じがして安心しながら見れた。

ノーナレって手法はそれだけで観客を選ぶから、こういうたくさんの人に見てほしい作品の場合は良くないと思うんだけど、ありきたりな言葉を使って概念を狭めたり、観客が考える時間を奪うのは描いてるものと真逆になってしまうので、敢えて避けた結果なのだとしたら、それはそれで正しかったのかも。

タイトルも好き。

どういう流れでこの映画を使ったのか気になってて、エンドロールに監督と同姓の人がいたからもしやと思ったら、監督の母親から働いてる場所とのこと。

この映画を見ながら、『14歳の栞』という最悪で醜悪極まりない映画のことを思い出してた。
なぜこの作品に惹かれて、『14歳』をクソだと思うのかというと、この作品は過剰に飾り立てたり美しく映そうとしてないのに結果的に美しいものが映ってるのに対して、『14歳』の方は被写体を駒としてしかとらえず過剰に飾り立てて美しいものに仕立て上げようとしてる=撮る側が被写体を美しいものと考えてない、という姿勢にあるのかなと思った。
別にこの映画を誉めるために他の作品を貶す必要はないんだけど、対比すると見えてくるものがあるから、書いておく。

見終わって数時間経つのに、まだ胸の奥が温かいまま。素晴らしい作品でした。
スズキ

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