耶馬英彦

ザ・タワーの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

ザ・タワー(2022年製作の映画)
4.0
 ギョーム・ニクルー監督の作品は、2020年に「この世の果て、数多の終焉」を観た。2018年製作の戦争映画だが、公開は2年後だった。
 本作品も製作は2022年だが、公開は2024年だ。そして、本作品も戦争映画のような様相を呈している。つまり、状況が切迫すると、人々は哲学や理想、寛容や話し合いを捨てて、生き残りをかけて互いに争うようになる訳だ。もはや人々の関心は、食と性、そして暴力と権力闘争に限られる。
 ひとりでは弱いから、徒党を組んで他人の権利を奪いはじめる。国家という徒党を組む侵略戦争と同じだ。中学生の番長争いや暴走族同士の衝突、ヤクザの縄張り争いに至るまで、みんな同じ図式である。そこに人類の愚かさが集約されている。
 団地を包む闇は、地球環境が悪化し続けた未来の、住めなくなった土地を示している。放射能や毒素が充満して、足を踏み入れた途端に命を落とす。残った人間は、地球環境の保全や改善に努めるよりも、自分だけ、自分たちだけが生き残ろうとして、互いに争うのである。
 不思議なことに、徒党を組んだ連中が互いに殺し合って姿を消した後には、束の間の平安があり、文化と哲学の復活がある。しかし闇は常に迫り続けている。人類最後の日は近い。

 かつて恐竜が絶滅したように、人類の絶滅も必至である。新約聖書に記されている「悔い改めよ、天国は近づいた」は、バプテスマのヨハネの予言であり、イエスが教えを述べはじめた第一声であるが、まさに現在の地球のことを言っているように思える。仏教の末法思想も同じだ。科学が人類の絶滅の可能性を導き出す遥か前に、イエスもゴータマも、人類の先行きが不幸な結末であることを予言していたのだ。
 
「この世の果て、数多の終焉」と同じように、本作品にも、人類の終末についての厭世的な思想が通底している。それがニクルー監督の哲学なのだろう。歴史の縮図を1棟の団地に閉じ込めてみせた傑作である。
耶馬英彦

耶馬英彦