誘拐した少女が吸血鬼だった。
ポスターにもあるから、ネタバレじゃないよね。
問題は、この吸血鬼が弱い。
なので怖くない。
ホラーではなく、段々ドタバタコメディになってくる。
更に駆け引きの騙し合いになり、ロックミュージカル風やヒューマンドラマになる。
やりたいことを色々詰め込んだ感じ。
その分、怖くなくなっていく。
そもそも人間と駆け引きする吸血鬼って、弱い証拠だろう。
強ければ駆け引きの必要はない。
もっと進出鬼没で圧倒的な怖さで、悪党共を駆逐して欲しい。
中途半端に、悪党たちの人間ドラマに風向きが変わる。
観客が望むものと違う方向に進む。
実は吸血鬼少女アビゲイルと、訳アリな小悪党女性ジョーイには共通点がある。
アビゲイルは、振り向いてくれない父親への思いがある。
ジョーイは引き離された息子への熱い思いがある。
つまりこの話は、親子がテーマになっている。
なぜアビゲイルとジョーイが、あの状態になるかと言うと共鳴し合っているからなのだ。
その辺が上手く伝わっていないので、疑問に思う人も多い。
最初の方でアビゲイルが、「子供の遊びを知らないの」と言っている。
この誘拐茶番が、実は彼女にとっての遊びであることの伏線だ。
その一方、彼女の満たされない想いを表している。
ネグレクトな吸血鬼の父親を振り向かせたいという、いじらしい願いが籠っているのだ。
その為の遊びだとしたら、恐ろしい分だけ切ない。
阿鼻叫喚の殺戮で幾ら人間を殺しても、ちっとも褒めてくれないし、認めてもくれない。
残酷になるほど満たされぬ少女の気持ちで溢れたら、観客は恐怖と悲しみの奇妙な感覚を得たかも。
またジョーイとアビゲイルの関係も、子供を捨てた身勝手な母親とアビゲイルが誤解していた方が良い。
ジョーイを執拗につけ狙う前半があって、誤解が解けて子供を愛していると知った時、アビゲイルが共鳴すればドラマとしてもテーマが伝わる。後半の展開にも疑問が湧かないだろう。
所々に仕込みはしているが、有意義に機能していない映画だと思う。