最後の20分だけ少し面白い。
その部分、馬琴と息子の嫁・お路の二人三脚こそ、曲亭馬琴の全てを物語っている。
そこだけに専念すれば、馬琴の手に負えぬ因業な執念と作品への誠実さ。『業と美』が描けるだろう。
それ以外の二時間はいらない。
虚(八犬伝)と実(馬琴の実像)を描く二部構成も、北斎・悪妻・病弱息子も、真逆思想の鶴屋南北も不要だ。
それらがノイズになり、馬琴の本質が分かり辛い。
『虚と実』より、本質はクリエイターとしての『業と美』だ。
最後の20分を引き立たせるためには、いかに馬琴が細部にこだわる厄介な因業爺かを示さないといけない。
ところが、周囲の人間の方が変人ぶりが目立っている。
北斎や悪妻の方が、馬琴より変人に見える。
しかも役所広司が演じるので、変人というより生真面目で折り目正しい人物の印象になる。
もっと鬱陶しいクソ爺に描くべきだ。
正義を口しながら、周囲を辟易とさせるクソ爺。
お前が一番やっかいな悪じゃないかと、観客に思わせる爺であるべきだ。
それなら最後の20分が、もっと面白かっただろう。
初めは、因業クソ爺で嫌な奴と観客は思う。
だが次第に、創作物に対しての誠実さと執念だけは恐れ入ると感じる。
そこに失明、作家生命の危機が訪れる。
それをサポートするお路。
だが因業爺は一筋縄で行かない。優しいお路を役立たずと罵倒する。お路に無理難題なハードルを授ける。
意地悪ではなく、それが馬琴であり、妥協したくても出来ない物書きとしての業なのだ。
そこに作家の執念と、作品への誠実さが表裏として立ち現れるだろう。それが馬琴の面白い所じゃないか。
名監督が、どれほど役者やスタッフに恨まれているか。
三船敏郎は酔って猟銃を持ち、黒澤邸の門前で罵倒したという。
綺麗事でいかないのが名作の裏側だ。その『業と美』。
劇中で鶴屋南北が顔を逆さまにしてのぞき込むのは、南北が奇想天外のあべこべ作家という謂いだろう。
南北は、よく正義の義士である忠臣蔵の面々を、ひっくり返して悪人に描く。
嫉妬に狂い、女や赤ん坊まで殺す殺人鬼が正々堂々と正義面で討ち入りに参加する皮肉な作品を書いている。
南北は、「正義の中に建前の悪を見て、悪の中に本音の真実を見出す」それらを茶番と笑いのける鬼才だ。
『四谷怪談』も忠臣蔵と綯交ぜ(ミックス)している。
正義の討ち入りを果たす男たちの建前の裏で、裏切られた女が本音で卑怯な男たちに怨霊として敵討ちをする話だ。
お岩を捨てる伊右衛門は、赤穂浪士の癖に吉良側につく裏切り者なのだ。
理不尽な女の怨霊を敵として、「仁義礼智忠信孝悌」清く正しく美しくと綺麗事を看板にした八犬士を描く馬琴とは水と油。
南北にしたら、『八犬伝』こそ茶番だろう。
天丼は天ぷらだけのってるから天丼なのだ。
ステーキ・鰻・刺身など・・・色々のせたら何丼か分からなくなる。そんな映画。