このレビューはネタバレを含みます
ユチョンのときもスンリのときも名前が出ていない人のときもリアルタイムで報道やら続報やらを見ていたので(チョンジュニョンは申し訳ないがあまり存じ上げなくて今回はじめてちゃんと認識した)あったあったというある種の懐かしさとともに見た。ユチョンのときは日本のファンもまだ擁護する人が多かったけど、スンリのときは事件のヤバさ的にさすがに引いてた人が多かったのを思い出した。BIGBANGの強めのファンがまわりにあんまりいなかったからかも。ファンだった人のそれぞれの視点からそれぞれの経験や考えについての語りのは興味深かったものの(似た経験をしてそのプロセスを経たからこそ思うことかもしれないが)、ある意味理想的かつ想像可能な範囲ではある人たちの話だったというか、映画の冒頭でも言及されていたそれでもなおファンを続けている人たちの話も聞きたかったなと思った。(そもそも性犯罪をなかったとするファンはお話にならない前提で、)ただ性犯罪を軽んじている人もいるかもしれないが、親密さの感じ方が桁違いで待つスタンスになってる人もいる?あまりにも自分の人生に食い込んでしまっていてファンをやめることができないような人がいたらそういう人の話こそ聞いてみたかった。
ここ数年で「推し活」という単語の普及とともに「推し」にも消費主義的イメージが付与されるようになった感覚があるので、「推し活」は덕질の訳として適切なんだろうかという疑問もあった。中毒、依存の話も出ていたが「理想化できる生身の人間のパフォーマンスを見たり動向を追いかけたりすること」が一部の人には「向精神薬」的な機能を果たしてる場合もあって(推し燃ゆで言う背骨的な)、その場合は社会全体の構造の問題だったりすることもありえるだろうなとか。スンリのファンだった人が話してた「別の世界を作る救世主のような」という部分が興味深くそしてわかりやすかった。けどそれはつまり一種の逃避ということでもあるのかな。思春期あるいは青年期に一時的に通過する場合と、思春期から長く関わる場合、もっと後になってから関わる場合でもなんだかいろんな違いがありそうだった。
カンインのファンがカンインに向けてメッセージ的なことを言うところ、犬飼ってることや犬種をふんわり覚えている様子にカンインのこと好きだったんだなって身に覚えのある切なさを感じた。
おもしろかったとこ
・たくさんの草鈍器
・自分が贔屓にしてるインタビューを受けてる人が「ヤンキーみたいな?ワルみたいな?オッパって呼びたくなるみたいな」って言ったあとにカンインのファンだと判明するとこ
・懐かしすぎるあの頃のスンリとジヨン
・すべてを台無しにするミキサー
・リアリティに溢れたチケッティングシーン
・早口で情報量が多すぎるオンマ
・YGへの警告