このレビューはネタバレを含みます
最後に唇を噛み締めてダラダラと泣いたのはいつだったかな。
まず尊いという感情で涙が出たのが久しぶりすぎた。
仕事やそこでの人間関係が忙しすぎて、多分1番ぐちゃぐちゃなのは自分の頭の中だったから、読書や映画鑑賞からどんどん遠ざかっていた。音楽さえうるさく感じて心地よさよりノイズに感じてすぐ消した。
少ない通信を取り合って重たくなってグルグル回る携帯画面のアレが私だった。
目の前に本はあるし、観たい映画が幾つもあるのに、読む、観に行くと決めることさえ疲れていて
気がつくとこの映画も公開直後から気にしていたくせに観たのは秋の始まりの朝。
でもこの映画をこのタイミングで観る機会が訪れたのはやっぱり何かのメッセージな気がしてならない。
最初の藤野は感じが悪かった。
こういう子、ちょっと苦手。そもそも私は自信満々な人がなぜ苦手なんだろう?
『上手』という曖昧な褒め言葉の弊害で小さな世界で山頂に立っているように見えた。
何かを他者より持っていると思う時、なぜ傲慢さが生まれるのか。
不登校の直接的な原因は最後までわからなかった京本。
家族や友達がこの2人の世界の塀の外にいる感じ。誰の人生もよく見えない。
2人にも見えていなかったということなのかな。
誰かのことを思いながら、でも自分の道で選択したことはすぐには相手に届かない。同じように自分も気付けない。
真空みたいな孤独の中にいる時になぜか偶然出会って途中まで同じ道を歩く。
雨の中で飛び跳ねる藤野や繋いだ手とかがあんまり尊くてスルスル涙が流れた。
なんで自分が泣いたのかよくわからない。
安全で見通しの立つ未来だけを選びたいわけじゃなくて、自分の心の向く方に歩きたいはずなのに今の私にはそれが出来てないから、心無い言葉が降ってきたり浴びせられても自分の目指す方角に身体を向けた2人に対して色んな感情が止まらなかった。
安全だから、人から笑われないから、フツーがいいから選ぶんじゃなくて、自分が何をしたいかなのに私は。
今、歩いている道が正しいのか、そもそも正しいってなんなのか、限界を感じて立ち止まったことのある人や未だ迷子の人の喉の奥に、この2人の人生の一部がグッと詰まる。
自分を打ちのめした物事や人こそが、巡り巡って自分を奮い立たせることがある。
自分の欲しいものを簡単に手に入れられそうな場所にいる奴こそ、それを欲しがってはいなかったりする。
でも、欲しいものを手に入れることが自分を最も良い場所に連れて行ってくれるわけではないこともよくわかってるよ…。
自分の邪魔をして立ちはだかってちっとも動けなくなるような時期こそ、自分を遠くへ連れて行くこともある。
正面から見つめあって見ているものだけが何かを語るわけじゃない。
相手が気づいていない時、私がその背中を見ている。
具体的に事細かく何をしているのかを言い当てることは出来ないけど、どんな面持ちで何に集中しているのかを感じては、いる。
いつか選ばなかった方の道のことを考えた。
もしあの時、あっちに進んでいたら。
でも藤野も京本もどんな未来を選んでも分岐点には同じメッセージが届いていたではないか。多分そこはこの世界の共通点だ。
ある意味何が起きても、良いことも最悪なことも自分に向かってやってくる。
そこからいくつもの選択可能な道が広がっていたとして、いつか命が終わるまで進み続けることに変わりはないよね。
エンディングの曲はこの夏ずっと聴いていた。
仕事の行き帰りにLight songだけはノイズじゃなかったの不思議。
劇場が明るくなっても後ろの席の方で立てずに涙を流す女性がいた。
話しかけたくなったけどやめた。
私も席を立つのがしんどかったから、今、あの2人の人生と自分の感じているものと向き合う時間邪魔したらいけないよな。
パンフレットも考察も原作も何も予備知識なしで涙ぐみながらここまで書いた。
(作者のことも知らない
最初の気持ちは今だけしか感じることができないからそのまま書いた。
大きな音楽と映画の中の世界が私を丸ごと包んで私の心と繋がって他の場所に連れて行く。
これこそが映画館で観ることの素晴らしさだったことを思い出した。どうしてこの場所から遠ざかっていたのかな。苦しかったな。突然それに気づいた。
まだじわじわ涙が出てきて本当に困る。