ニューランド

土砂降りのニューランドのレビュー・感想・評価

土砂降り(1957年製作の映画)
3.9
私は、『紀ノ川』も『古都』も特にいいとも思わなく、この作家に特別惹き付けられているわけでもない。しかし、真の傑作と云うのが、一般的評価とは別に、個人的インパクトとして幾本か確かにある。そして、今まで観る機会のなかった本作は、それらに次ぐか同等の傑作であると思った。執拗な機関車を中心とした列車の進行の夜の重力。カメラワークは大きなものは控え、短く確かに引き締めを行ってゆくが、終盤はイレギュラーな切迫咄嗟の感もある動き·流れ方を見せてゆく。基本折り目正しいタッチだが、必ずしもフォーマルに収まったものではなく、多分に予断を許さぬはみ出し·突き抜けを増やしてゆく。どんでんと角度変が、力ある確かな懐ろか、適時フィットの荒い力か、続くようなところだ。しかし、全体の枠を壊すわけではなく、荒々しく若い時代と年齢の鼓動と、作品を纏めあげる完成(度)への仕上げ意志·執念が、不思議な安定への距離を見せている。
内容も安定に向かっているのか、現実の説明のつかない魅惑の接近に惹かれているのか、わからない展開となっている。♨️マークの旅館経営で、母親と、25歳OLの長女·学生の長男と次女の3人暮し。母は二号さんで、大店の主人の父は週に一回平均で顔を出す。明るい家庭だが、特に娘たちには、家庭を支えてても、自分から明言できないような、家族構成や母の職業に、心晴れないモヤモヤに恒に付きまとわれてて、長女は、職場の恋人との·上司も気付いての後押しのプロポーズに、すぐ家庭に連れ来て推し進める事が出来ない。先方の母親が先に訪れての、憤慨·話の断りが先に動き決められ、逃げ腰になった恋人にも怒り、職場からも家庭からもいきなり、周りが理解する前に姿を消してしまう。そして2年後に、姿を潜めホステスをしてた神戸で、汚職の疑惑をおしつけられ·逃亡中だった恋人と再会し、安全な場所をといきなり自宅に戻って来る。そのまま居着くも、妻子いる実家に戻りたがっている恋人の本音を間接的に母から教えられる。「(身を引いた母と違い、)一生離さない。死ぬまで添い遂げる」と言いおいて、恋人を刺し殺し·自分も死に、無理心中をしてしまう。
「忘れ、前向きに」と慰め·振り切らそうとする父の姿勢に、姉の人生を考えつめた妹は、父の与えた旅館を手放し、父と3人は別れ、片親となる母を、兄妹が卒業前に学業を止め、働き始めて支えてく、と兄の同意も得て宣言する。父も了承し、「最後にもう言う機会がないから」と、主人の娘だった正妻との縁談の断れない立場を察して、姿を隠した母、偶然の再会の時には別れた時に宿してたを知らなかった長女と共におり、それからは別れられなくなり今日まで、と遊びと真反対の父母の心のうちを話す。駅まで父母だけで最後に歩くうちに、父への未練の方が増してしまう母。「子供たちの為にも、笑われない生き方こそ。離れても思いは続き、何かの時には力に」と諌め、深い愛を示す父。帰りの遅い母を心配した子供らが探しに来ると、ひとり列車に身投げをしかねない母を見つける。その事には触れず、正気·前向きに足場を確かめてく3人。
随分無理·無茶もある展開だが、『獣人』を想わす列車の動き·造型·刹那の絡め方他の、情景·空気の荒々しい正面からの、恒なる捉えの厳しさ·現実を超える真摯さは、旅館内の殺傷心中の現場を見せない·周りの激しい取り乱しの動きの絡ませでも同質で、ストーリーを突き崩す希求·動揺治めの力が、空きなくはたらいている。浮き上がらない武満の音楽·音響も直に内にまで伝わり流れゆく。
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