tosyam

赤い風車のtosyamのネタバレレビュー・内容・結末

赤い風車(1952年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

特撮映画にほかならない。意識的に。風格の芸術映画をさけ。ジャンル映画としてのそれにちかづけようとしている。のっけから有名な絵のほうに現実をねじまげたかとおもうと。紳士は悪魔くんのメフィストのような特殊メイク。黒澤作品。夢。の手法でファンタジー色全開。絵のなかにまよいこんだかのよう。主人公の異形が全身特殊メイクで。さらになぜか父親までメイクで一人二役。これでいかにもこれでもかに誇張的人工的に悪夢のように過剰化され特撮映画以外のなにものでもないたたずまいになっている。ディズニーアニメ一歩手前。だからなのだろうパリ界隈のセットとライティングにいたってはフェリーニのそれをはるかにこえてまぎれもなく特撮映画のそれ以外のそれではなくなっているのがすごい。これは白鯨のとき以上だ。母親にさとされわかれた女をたずねるスラム街などもうまるで吸血鬼街。さとす時の母親のメイクもゾンビみたいだったし。すべてグルで主人公をのろいころしにかかっているようにしかみえない。ハマーの吸血鬼ドラキュラかよ。である。そうブリキの太鼓みたいな中途半端に芸術の。表現主義的胸糞ささえ。よい意味でけしとばされていて。まさに娯楽大作。浪花節な大浪漫調大活劇で。ジャンル映画としての純粋sfや純粋ホラーのようないさぎよさがある。座頭市のごとく仕込杖ボトルから手際よく酒をのむ姿は聖なる酔っぱらいヒーロー平手造酒のおもむき。そしてなんといっても二度目の階段落下シーンがよい。その刹那。足がなおっていて正常になってソノママ死の床へ。そして走馬灯。真夜中のカーボーイのダスティンホフマンの全力疾走とおなじ。そしてなにより恋愛ドラマとしてのふかさ。本作なぜアラビアのロレンスとか風と共に去りぬクラスに名作とされないのか。たぶん短かすぎる。手法も多様で倍の尺があっても充分みれるのに。すくなくともながければルードヴィヒ神々の黄昏はこえたはず。とにかくラストの走馬灯が妖怪百物語妖怪大戦争しまくっててヤッパ特撮はいいな。ということで昨今もてはやされる胸糞映画とは如何に観る側でどうにでもなるという考察を。得るに採用するには最適な研究材料。
tosyam

tosyam