どうしようもないシステムのなかで足掻く者達
●正直言いますと、ヨルゴス・ランティモス作品は『哀れなるものたち』で初めて観て以来、実は今作で2本目です。
そこにきて3章建てで構成されている本作は、『哀れなるものたち』で空いている時間で撮ったとは思えないほどのクオリティの、本ッ当に面白い奇ッ怪なブラックコメディでした!どっちかと言うと、こっち寄り路線のヨルゴスの方が好きかもしれません!
要は脚本が『女王陛下のお気に入り』『哀れなるものたち』のトニー・マクナマラとは違う、それ以前の作品でがっつり組んでいたエフティミス・フィリップの路線が自分にはぴったりなのかな?ちょっとこれからまた過去の作品を観てみますね。
●3章はそれぞれ同じキャストが全く違う役を演じていて、それぞれ独立しているんですね。しかしながら、それぞれが緩やかに、依存と服従、暴力とセックス、支配と被支配というテーマが共通の根底にあり、1章は企業、2章は夫婦、3章は宗教における関係性において描かれているんですね。
どの話も話の行く末がどう転ぶか全くわからないスリリングさと、身体的な痛さと精神的な痛さ、そしてそれぞれが思わず映画館で吹いてしまうような爆笑に溢れていて本当に癖になる作品でした。
(特に爆笑したのは、2章のエマ・ストーンとジェシー・プレモンス演じる夫婦の!あの思い出のビデオテープをみんなで鑑賞するシーンですね!)
●3章それぞれのタイトルにされ、唯一同じ名前で出演する、神の如きR.M.Fというキャラクター。それぞれの章への重要度は全然違うにも関わらず、それでいて生(食)と死を体験する、謎の人物なんですね。
その名前の謎も非常に深まるのですが、だからといって彼に対する「考察」などは特に意味をなさないと思いました。映画の考察をしたり、それを受け取ったりする最近の傾向を嘲笑うかのような存在なのかな、などと思ってみたり…。
それぞれの章はまるでつかみどころのない、難解なものなんですが、1章ではなんの会社かわからない企業への依存、2章では夫婦間の依存、3章では信仰への依存を描いていて、人はそうやって何かに依存せざるを得ない、そんなもんなんだと冷たいある意味突き放した位置から物語でもあるんですね。
RMFはその中にいても歯車のようでいて神のような目線でいる人なのかもしれないですね。1章ではその歯車の中にいて何故か人を殺さなきゃいけない人間の暴力をあえて受ける者、2章では遭難した人間を救い出す者、3章では完全に傍観してる者。
搾取し搾取されるサイクルの中にどっぷりつかった登場人物達の中にいて、匿名性の高いモブの中のどれかがRMFであり、それでも記号性を与えられた人物。それってひょっとしたら物語の外側にいながらにして物語に願望を重ねる我々観客を意味してるのかもしれないし、もしかすると映画を製作する者達の誰かかもしれない。我々も、映画を作る者も、社会のサイクルの一部だということを教えてくれているのかもしれません。
●なんせどの俳優も一級の演技と脱ぎっぷり。そして本当に何とも言えぬ表情ができる人たちばかり。そしてとんでもなく「痛み」を感じさせる作品だと思いました。嫌〜な刺激を与えられつつも、調子の狂った音楽や整然とした映像、各章のエンドクレジットの出し方など、どれもこれも予測できず癖になるんですよね。傑作。
●会社、夫婦、宗教と、3章通じて、人間は支配することとされることは、耽美で依存性があって楽にすら感じることなのかと思う。だからこそその支配から飛び出た(追い出された)人間はどれだけもがいても破滅的な最後を迎えることになる、というのが共通のテーマだと思うんですね。だからこそのあのエマのダンスは心に響くわけです。
あと、2章の犬の島はそれだけで映画作ってほしい!と思いました、
怖い作品でもありますが抱腹絶倒な作品。観られて良かった!