遅きに失した正義感
●皆様は、うっかり知ってしまった悪の行為を、見て見ぬふりしたことはありますか?私はあります。自信をもってもう一度言います。「ありますよ」と。
もし、私はないよ!と言う方がおられたなら、これからもそう言い続けていられるのか、どこまでを「悪」だと思っているのか、どんな事を「悪」と思っているのか、そんな事を聞きたいものです。
だってもう、この日本と言う島国の存在自体が、諸外国で行われてる非人道的な行為に目を瞑りながら維持されているものだから。
「きれいなところだけ見てろ、汚いところは見るな」
ルーマニアの美しい村の足元のゴミを見ながら主人公イリエは新人警官ヴァリにそう答えます。
本作の序盤からのこの村の風景はのどかで美しく、村人もみんな満足そうな生活をしているように見えます。警官としての業務もほとんどなく、当然犯罪もほとんど無いような村です。イリエは妻も子供もおらず、仕事を辞めて好きな果樹園を営むことを夢見て今を過ごしているのです。
主人公然としているのは、派遣された新人警官ヴァリ。顔つきも主人公っぽいし、ハンサムで若い。今までの映画なら、断然彼が主人公。そしてよくある閉鎖的な村モノの犯罪を暴いて行く…と言う話の中心にいるべき存在です。
ここで私は気づきました。なんでそんな主人公に我々は感情移入をしていたのだろう。
感情移入すべきは、巻かれるものに巻かれていたモブのような村人なんじゃないか。
(そういえば、同じ村サスペンスの『ガンニバル』の柳楽優弥はほとんどサイコパス味があるので感情移入すらさせない作りになってましたね)
●イリエがその正義感に目覚めるのは、救うものを救えず、淡い恋心も遂に叶わなかった時、つまり捨てるものが何も無くなった時。もう、遅すぎる。遅すぎたからこそ、最後の正義感を絞り出したんですね。彼が代わりに得たものは、自分の「悪くない」顔。だけどそれこそが一番必要だったんですね。
ラストの孤独な襲撃は、ドタバタのオフビートなコメディの様。(めっちゃ銃の質が悪いから弾詰まりしまくるんですよね。)
これって、悪を滅ぼすには暴力が必要だとかそういう事を言ってるんじゃないんですよね。
悪を見逃さないためには、身を滅ぼすくらいの覚悟と、血が流れるほどの傷がつく、ってことなんですよね。
日本だって、不正を内部告発した人が、自殺せざるを得ない状況に追い込まれているじゃないですか。
不正の首謀者が何食わぬ顔で告発者を潰していってるじゃないですか。
そしてさらに周囲の嫌がらせや誹謗中傷を受けているじゃないですか。
イリエが仮に上手いこと生き延びて、首謀者を逮捕していたとしても、恐らく利益を享受していた村人たちから執拗に嫌がらせを受けたり、村に居られないような状況に追い込まれていたかもしれませんね。
まさにこれは、あらゆる社会、コミュニティ、企業や政治の世界、そして国レベルで、世界中で行われていることと同じなんですよね。
●イリエが同僚との共同名義のマンションを手放す手放さないで揉めていましたが、困っていたのなら話してみればいい。だけど相手にだって言い分や状況はあるのだから、それもやはりちゃんと聞いてみることが大事。そう、それはヴァリの話もだ。イリエはそれに気づくのが遅かったんです。
当然、イリエのことを責めることはできません。観客の誰に彼を責める権利があるでしょうか。
村長はイリエに「黙って見逃せ。」といいます。自分がヴァリに「きれいなところだけ見てろ」と言った言葉がそのまま跳ね返ってきたようです。
私達にはこの映画から何が返ってきたでしょうか。
もしくは、さくらんぼを盗った貧困家庭を見逃すことは出来ない!といった決意でしょうか。
●美しい景色、ルーマニアの異国情緒、とても奥深い演出、ラストのバイオレンス、全体に共通する乾いた質感、どれをとっても大変面白い作品だと思います。
特に俳優たちが良いですよね!イリエのどこにでもいるような猫背の中年感、村長と村長嫁の人格者とクソ野郎の両面性、マシンガン持った司教など、キャラクターの味はじわじわと出てくる。出汁が効いてます。
サスペンスではあるけれどそこが主題じゃないんですね。でもこの、いつイリエに火が着くんだ!というヒリヒリ感。かなり面白いので、公開館数!回数は大変少ないですが、観られるときに是非観てください!