ユーライ

ガメラ 大怪獣空中決戦のユーライのレビュー・感想・評価

ガメラ 大怪獣空中決戦(1995年製作の映画)
5.0
初めてスクリーンで、且つ久しぶりに観たのだが、エンドロールの「神話」で泣けてきた。個人的な事情もあるが、かつて信じたフィクションの理想形を自分達の手で作り上げる、という本編に現れている意志の結実と歌詞がダブるから。なお、その対象は東宝怪獣映画等であって、ガメラに対しての思い入れがそれ程無いことはぶっちゃけられている通り。本郷功次郎と久保明から始まる。自然なので気づきにくいが、福岡ドーム前での「退避ー!」等広くオマージュが盛り込まれているのが分かる。「ガメラ」という言葉自体が持つ滑稽さを脱臭することに全力が注がれており歪だが、従来のお約束への配慮は抜かりなく。子供の味方である要素は解釈をこねくり回して少女の味方にシフト、結果として背負ったガメラの父性、男性性から来る危うさは、実父である小野寺昭によって免れている印象がある。この問題は『3』のイリスによってより前景化する。改めて記憶に残るのは、主要モブ問わず脅威と相対した人々の顔。怪獣出現や非常事態におけるリアクションを丁寧にカットを割って拾い上げている。それは観客の驚きや恐怖と一体になっている。彼ら彼女らが官民問わず一体となって脅威に立ち向かう頼もしさ。「滅んでたまるか」に象徴されるように、シリーズを通して不安の中で未来を信じる態度がある。自衛隊を始めプロへの賛辞も。『サンダ対ガイラ』を下敷きにした、二体の怪獣が激突する過程が自然であり、日本列島を横断するスケールが豊か。大谷幸の劇伴の影響もデカい。「行きます」や「こういうことやってみたかったんだよ」から漂うパトレイバー感。着ぐるみに不向きなギャオスをどう生物的に見せるかの苦心が随所に。この課題はフルCG化により解決する。西部劇的決闘→爆発四散から光の柱が立つのは庵野への目配せか。クラシックを目指した、と言う通り映画として手堅く、それがキネ旬等で評価されたのだろうが、以降より洗練ないし奇形になっていく。怪獣映画としてのスタンダードはこれ。
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