映像で物語を紡ぐというのはこういうことなのだな。劇的な展開や奇を衒った演出はないのに、画面に引き込む力が強くてひたすら見入ってしまった。スクリーンから潮風が吹いて来そうなほどに、眩しい5年前の夏がただそこにあった。私はこの映画が好き。この真っ直ぐで揺るぎない芯を持った飾り気のない映画がとても好き。そしてそのことに何だか妙に安心する。私はまだ大丈夫なんだと思えるから。
私たちはとても単純で脆くて優しくて身勝手で愚かで可愛いらしいから、時に悲しみを受け止めきれなくてどうしようもなくボロボロになる。真夜中のカップラーメンで永遠に幸せになれると思ったのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。もっと身軽に何にも縋らずに生きたいのに。でもそんなカップラーメンみたいな、お揃いの苗字みたいな、変な形のスプーンみたいな、メンソールの煙草みたいな、赤い帽子みたいな、小さくてたわいもない《SUPER HAPPY FOREVER》のカケラを拾い集めて、その煌めきを何度も何度も消えないように再生して、懐かしい歌を鎮痛剤にしながら、何とか今日を生き永らえているのだ。あの青く美しい海に自分まで投げ捨ててしまわないように。