闘争とは何なのか。東アジアの人たちとの連帯とはいったい何だったのか。企業爆破によって人々の意識がなぜ変わると思ったのか。そういったことは多くは語られず、逃走が闘争につながると信じた桐島の悲哀が描かれていました。桐島は確たる信念をもって闘争に参加したわけではなさそうで、逃げることも戦いだと言い聞かせられ逃げ続けていたけど、そんな中でも人々が理想とする方向に向かっていかなかったことはわかったはず。それでも逃げ続けた桐島の真意はやはりわからないままだった。こういった闘争に参加した人だと桐島の気持ちはわかったのでしょうか。そこをうまく描かないと半生を闘争=逃走に身を投じた桐島や当時権力に抗うべく闘争に身を投じた運動家の思いは伝わってこないんじゃないのか。今の若者には何も伝わらないかもしれないと思ってしまった。