本作を観ながら私は三度落涙してしまいました。
『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(1976)を高校生の時に観た私は堪らずウディのそしてギターのファンになり、アコースティックギターを買いに楽器店に走ったのでした。アメリカ最大の吟遊詩人といわれるウディはハンティントン舞踏病という難病に罹って晩年は病院生活をしており、彼のことを師と仰ぐボブが度々見舞いに行っていたことは知っていました。その場面がいきなり冒頭に登場した時には、そんな事が映像でまさか観れるなんてと目頭が熱くなりました。しかもディランがウディの前で「ウディに捧げる歌」を演るではないですか!
その次に涙したのが「時代は変わる」をディランが初めてステージで演った時のシーン。キューバ危機があったりする当時の世の中が代わるということを鋭敏に表現している本曲の初演奏の再現が観れたという思いと同時に、いよいよディランの時代がやって来るということを予感させるシーンにはジーンと来ました。
直近では『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)を観た時ですが、伝記物は別にそっくりさんを演らなくても良いとも感じますが、本作のティモシー・シャラメは本当にディランに似ていました。なんでも5年もかけて準備をしたそうで歌も演奏もディランにそっくりでビックリです。常にイライラしてそうで無愛想、加えてうつむき加減で上目遣いが特徴のボブ。ただその眼差しはティモシーでは少し優し過ぎるかなと感じて観ていましたが、ニューポート・フォーク・フェスティバルのステージでの「マギーズ・ファーム」の演奏シーンを観てスッキリしました。エレキを手にしたボブが観客から大ブーイングをくらった時に観衆に向ける目は如何にもディランのものだった。自分の理解者なんか目の前に一人もいないステージ上で♪マギーの農場で働くのはもうイヤダ!と歌うシーン。アルバム「HARD RAIN」のジャケットのディランの私の大好きなあの目。このシーンで私の涙腺は完全に崩壊しました。
私の大好きなロックとはコレだ!音楽の才能には素晴らしいものがあったとしても、若い頃のディランは本当に何をやっても上手く行かない人だったのだ。自分の思い通りにはならない生活を送っていた人だったのだ、つまり彼もその辺でよく目にする若い人達と同じだったのだと感じました。近年ノーベル文学賞を貰っても「そんなもんが欲しいわけではない」と授賞式に出席しなかったりして、大人になっても欲しいものが手に入らない彼はこの作品で描かれていた若い頃の延長線上に未だに居る人で、時代が代わっても全く変わっていない人、"Like a rolling stone"そのもの、その辺に転がっている硬い頑固な石ころと同じ人です。
ディランの楽曲を大画面高音質で聴けて感激でした。ウディ・ガスリー...を観た時の私のように本作を観てギターを買いに行く方がもいるかも知れませんね。それだけ60年代のフォークギターの音色が魅力的でした。