本作は、従来のアニメーション表現とは一線を画す“手持ちカメラ風”のカットから物語を開始する。水面を静かに見つめるネコの視点に寄り添うその映像は、写実的で繊細な自然描写と相まって、観客を一瞬で作品世界へと誘う。特に、水の揺らぎや光の反射、周囲の植物の動きなど、背景の自然環境に対する精緻なレンダリングは、現実世界を彷彿とさせる美しさを持ち、それ自体が作品の情緒を構築する大きな要素となっている。
その一方で、動物たちのビジュアルは意図的にリアルから一歩距離をとったCGアニメーションで描かれており、その対照性が非常に興味深い。あえて高精細でない、やや粗めなテクスチャや輪郭の強調されたレンダリングは、CGキャラクターとしての「虚構性」を際立たせ、リアルな背景とキャラクターとのあいだに美学的な“ズレ”を生じさせている。これは、RPGゲーム、たとえば『FINAL FANTASY』や『The Last of Us』といった作品に見られる、リアルな世界観とキャラクターのCG性との共存を想起させる。さらに、物語構造自体もロードムービー的展開をとるため、インタラクティブ性のあるゲーム世界への想像が自然と重なってくる。
動物たちの描写は、デフォルメされつつも行動原理や習性に忠実であり、その細やかな表情や振る舞いは観客の情動を喚起する。たとえば、船上で常に眠っては食べ、そして大きないびきをかくカピバラは、ユーモラスで愛らしい存在として描かれている。また、キツネザルが光るものを収集し、それを執拗に独占しようとする姿は、欲望と所有の本能を象徴的に示しており、人間の性質との類似すら感じさせる。特に、鏡の中の自分に見惚れるキツネザルと、その反射光を追うネコという連鎖的な視線の構図は、自己認識と幻想のテーマを繊細に描いている。
イヌのネコに対する無垢な愛情や、ヘビクイワシの自己犠牲的な行動も印象的である。特に後者は、使命を終えた後、飛翔とともに姿を消すシークエンスが美しくも哀しく、比喩的に“昇天”を表現している点で、極めて象徴的である。
自然描写に再度注目したい。特に水の透明度は特筆に値し、視覚的リアリズムの極地とも言える。水を介してネコと自然のあいだに共感が生まれるような場面は、観客にもその清らかさを体感させる。しかし、水という存在は同時に暴力的でもある。津波や洪水による破壊描写は、自然が人間や動物に与える脅威として強く描かれており、鑑賞者の心を揺さぶる。だが、その直後に訪れる美しい夕景、そして水位の上昇によって得られた新たな視座は、自然の美しさと残酷さが常に表裏一体であるという事実を示唆している。
繰り返し登場するクジラのような巨大生物の存在もまた興味深い。たとえ善行を積んだとしても、その最期は決して報われるものではないという描写は、人間中心的な宗教的世界観を揺さぶる哲学的視点を提示している。善悪の彼岸にある“自然の掟”こそが、生命の根源的な原理であることが暗に語られているようだ。
全体として本作は、時間や目的に縛られず、水の流れに身を任せながら生きる動物たちの姿を通して、「自然と共にある生命」の在り方を静かに、しかし力強く訴えている。生命とは、規律や秩序の中にあるものではなく、ただそこに“ある”という状態そのものなのかもしれない。作品を通じて浮かび上がるのは、生きることそのものへの根源的な問いと、美と暴力の交錯する世界における“存在”の詩的な再確認である。