このレビューはネタバレを含みます
おまじない
「伝わる言葉を 探して黙っているけど
言わずにしまう思いはないのと同じだった」(yonige「愛しあって」)
見終わったあと、この歌を聴いて帰った。
カメラにドキュメントされる監督のお姉さん。撮られて警戒する目と問い質す声に反応し、何かを言おうと引きつる頬。押し黙る顔。
沈黙。
語られない姿に彼女の思いが表れているような気がするが、カメラは、監督は、何かを聞きだそうとしてさらに問い質す。私もそうしてしまうけれど、成果は「どうすればよかったか」と問い直す後悔だけだ。
本作をみていてよく喋る家族だと思う。そしてよく問い質し頭ごなしに否定する家族だと思う。しかも食事を共に取らないといけない様子から、離れがたい家族の距離も確認できる。
口を噤んでも、耳は家族の声を否応なく聴き取ってしまう。だから彼女の発する言葉は、氾濫する声を遮断し、父母を遠ざけ自分を守るおまじないのような気がしている。
彼女がおまじないを掛けなければならなかった日常が壊れていくのは耐えがたい。惣菜のプラスチックトレーが捨てられずに残っていくように、生活空間に物が氾濫していく様は緩やかな狂気による崩壊である。そして父も母も老いる。身体は衰え思うように動かず、認知症の発症という新たな問題も生じてくる。そんな壊れゆく日常に終わりがみえないのなら、カメラを向ける気力もなくなると思う。けれど、回し続けた。ひとつの映画にした。それは素晴らしい仕事だと思う。
歌詞は次のように続く。
「今更って思わないで 知らなかったあなたを知るの
さよならって言えなかった
理由なんて特にない」
まだ彼女にさよならと言えていない。まだどうすればよかったか、自問している。
きっと映画が、言葉がおまじないだ。