Kuuta

アラビアのロレンス/完全版のKuutaのレビュー・感想・評価

4.9
午前10時の映画祭にて。孤独な魂の解放と敗北という、ニューシネマ的なお話として楽しんだ。

アクションが物語上の意味に合わせて右向きと左向きに撮り分けられており、画面内の動きが人物の心理状態を示し続けている。

英国では変人扱いのロレンス(ピーター・オトゥール)。蝋燭の熱さを我慢するナルシスティックでMっ気の入った求道者であり、同性愛者である事もほのめかされている(水不足なのに髭を剃る等)。右方向へビリヤードの球を打とうとする同僚を邪魔する彼は、向かうべき道筋が分かっていない。

彼は自分が何をすべきか葛藤し、やがて西に向かって(画面的には右方向へ)歩き始める。英国式の名前や衣装を捨て、アラブのリーダーとして認められる過程で、生まれ変わる喜びを噛みしめている。

何度も苦境が訪れる。初めて「運命」に逆らってガシムを助けるシーン、最初の殺人シーン、子供が流砂に飲まれるシーン、全てが進行方向と逆=左方向へのアクションであり、彼の前に立ちはだかる障害や、他者との対峙を示している。

孤独なロレンスの魂はアラブの民と共鳴し、砂埃を上げる馬群のうねりとなり、歴史を変えていく。彼の自己実現は、アカバ攻略という現実のカタルシスへ昇華される。進軍に合わせて右へパンするカメラの先には、海と夕陽が待っている。砂漠の撮影は言わずもがな素晴らしいが、ここの海の広がりも最高。今作最大の盛り上がり所であり、ロレンスの一つのゴールでもあるこの場面は、本編のちょうど真ん中に置かれている。

では、この海の先には何があるのだろうか?本国に戻れば、旅で得た新たなアイデンティティを失うかもしれない。「お前は誰だ?」との英国兵の問いにロレンスは答えないまま、前半が終了する。

このままでも映画として十分に成立しているが、後半の2時間では、坂道を転げ落ちるようにこれまでのロレンスのヒロイックな振る舞いが相対化される。バックトゥザ・フューチャー2みたいな感じ。

運命は言葉で作られる。「モーセになる」との言葉通り、前半のロレンスは重苦しい運命を切り開く預言者として描かれていた。「Nothing is written」という彼のセリフが象徴的だ(ロレンスはアウダに言葉=手紙を授ける)。

しかし後半が始まってすぐ、英国軍の司令官は書類に記されたロレンスの人となりを延々と読み上げる。ロレンスよりも巧みに、より多くの言葉を操る「大人」が世界にはいる事、ロレンスもその世界の一員である事が冷たく示される(この場面もロレンスは左を向いている)。

ロレンスは自分の歩みが英国とアラブの王子の謀略の下にあったと知り、自我を崩壊させていく。彼の自己実現は「アラブ人国家の建設」という無邪気な理想に直結していたが、その計画もあっさりと頓挫してしまう。

自由への戦いは、実際には暴力や略奪を含んでいる。後半の列車襲撃シーンでは、画面の左と右の両方から攻撃を仕掛けている。前半ではありえなかった構図で、ロレンスの心の分裂が示されている。

彼の顔には影がかかり出す。気付けば、彼自身が暴力を生み出す側に立っている。前半のように苦渋の中で左を向いて殺すのではなく、戦意無く逃げるトルコ兵を右方向へ追いかけ、惨殺してしまう。

彼は水の上を歩き、ムチに打たれる。ユダヤとローマの間で引き裂かれたイエスのように、英国とアラブの中間者として振る舞い、精神を保とうとする。

だが結局のところ、彼は運命を切り開く預言者ではない。彼が命を救った人の多くは、結局死んでしまう。自分の持ち込んだ自由がアラブの民を苦しめている現実に苛まれながら、生まれ変わりの象徴である白い民族衣装が血に染まっていく。

本当のロレンスはどこにいたのか。八方塞がりの彼が終盤、司令官の部屋を去る場面、薄いカーテンにふわりと影が残り、すぐに消えてしまう。ロレンスの実像も虚像も見えなくなる、という見事な演出だった。

ラストシーン、本国へ帰投するロレンスは、車に乗せられて左へ、左へ向かう。これほど悲しい「行きて帰りし物語」があるだろうか。アラブ人の隊列を通り越し、名残惜しそうに右方向を振り返るロレンス。彼の恋人(と言っていいであろう)アリの姿を探したように見えた。しかし両者は引き裂かれていく。車がオートバイに追い越される所で、映画は終わる。

(このバイクは、時代に取り残されたロレンスの状況を示唆するだけでなく、冒頭の事故シーンを脳裏に蘇らせる効果もあるだろう。独りになった英国の田舎道で、彼は狂ったように右へ走り続けていたのだった)

画面の動きがストーリーを語る、映画表現の魅力が詰まった作品だ。砂漠の極限状態での自己実現というテーマも重なって、マッドマックス怒りのデスロードを思い出した。あとはやはり地獄の黙示録。

世界史の知識があった方が深く楽しめるが、文字情報の多寡に感動が左右されるようなヤワな映画ではない。長尺に尻込みする人もいるだろうが、退屈になったら話が分からなくなるのを気にせず字幕から目を離し、画面だけを眺める方法をお勧めしたい。面白いほど自然に展開が浮き上がってくるはずだ。98点。
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