映画こそ私の人生 それ以外ないんですもの。私たちとカメラと 暗闇で画面を見つめる素晴らしい人々以外は…_。
眩いばかりの栄光に包まれていた往年の大スター、ノーマ・デズモンド。彼女の映画人生はトーキーの登場とともに終わりを告げていた。ただ、彼女はそれを認識していない、というよりも受け入れられないでいた。
その要因。一つは使い切れないほどの財産。
もしキャリアの終焉とともにセレブリティな生活が立ち行かなくなっていたとしたら、もう少し“現実”に向き合うことができたかもしれない。しかしありあまる富が、彼女を大スターでいられることを許したのだ。
もう一つは執事マックスの存在。元映画監督であり、元夫でもあった彼が、残酷な“現実”というものから彼女を守っていた。良くも悪くも。
ノーマが不運だったのは、単に女優としてのピークを過ぎたという個人的要因よりも、トーキーの出現という映画史上の画期に居合わせてしまったという外的要因の方が大きい。おそらく同じような目に遭ったスターはたくさんいたのでしょう(『雨に唄えば』でも同じような女優が出てくるし)。
やはりノーマ役のグロリア・スワンソン。道化(チャップリン)に扮した痛々しさ、衰える外見上の美しさと失われゆく若さを保とうとして抗った末の醜さを迫真の演技で見せる。そしてエリッヒ・フォン・シュトロハイム。彼が演じるマックスがこの映画に更なる深みを与えている。