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ミズーリ・ブレイクのotomisanのレビュー・感想・評価

ミズーリ・ブレイク(1976年製作の映画)
4.0
 危ないジャックが化け物マーロンの喉を裂く。闇の仕置きが都会的な洗練味を添えている。肺の腑が血で溢れ窒息する数秒の静けさに何も気づかない人間はその晩もよく眠れるだろう。マーロンもまた永遠の眠りの前に自身の事績を回想し引き合わない死への慰めにできたろう。

 フロンティアが消滅する間際、西部社会も構造転換を馬泥棒にまで求めてくる。昔通りにただ刹那の暮らしの末、野垂れて死んでいくか、企業の上っ面を被って隠蔽性、安定経営と収益性を高めるかだ。もっとも主業は泥棒に違いなく、死ぬときには殺されるのも変わらない。また、被害者が直接処刑するより、代行人に外注することは増えるだろう。そこは、牧場主が7パーロスなんて言ってしまう時代の事、鉄道会社は計数管理を牧場に強いる一方で牛馬の搬送を画期的に早めただけでなく、都会の空気を牧場主に届ける効果も示している。「トリストラムシャンディ」を楽しむようなら他人の血で手を汚すのは興ざめも一塩だ。

 フロンティアが無くなるのは登記可能な土地が無くなるばかりではない。「西部の男」も廃業を迫られ「西部劇」巡業のドサ廻りの中で生きることを強いられる。そこならロマンチックな粉飾の末、殺人強盗強要数百犯でも先住民でも生きられる。しかし、そんな境遇に逃げ込めるのはマーロンの追撃に会わない幸運下に限られる。
 サイコ味ふんだんなマーロンの始末屋稼業がジャックの仲間を相次ぎ葬ってゆく先に、当然ジャックの血祭とマーロンの不覚とで大西部終焉が血塗られると思うところだったが、ジャックのどんな嗅覚がマーロンを探り当てたのか?しかし、説明は不要だ。西部劇らしい銃撃ではなく、息のかかる程のそばでナイフを走らせるジャックの顔をマーロンは眺めることはあるまい。闇の中のこの不覚を感じながら、私刑執行人マーロンはもう業務受注はできなくなり、ジャックもまたキャスリーンの父、牧場主もやむなく斃し人間界から遠ざかることを選ぶに至る。

 「西部の男」の相次ぐ引退のあとで、ジャックはキャスリーンとも間を置く。牛一頭と鶏二羽だけでワイオミングの奥地にゆくという。キャスリーンがその後あとを追うのか、ぽっかり穴の開いたようなジャックに親しみも届き切らない疎隔を覚え果ててゆくのか。マーロンとジャックが出会った時代がこんな物語を呼んだような気がする。
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