ピエル・パオロ・パゾリーニがマタイ伝を忠実に映像化したというのが無難な評だが,唯物論者のパゾリーニが忠実にということ自体が,当然の前提にある。この作品に出てくる人物は偶像ではなく,ある時代を本当に生きた人々として生き生きと描かれる。イエスが弟子に世俗的幸福を捨てるよう説くのは,風が吹きすさぶ丘を歩いて巡業の旅の途中。振り返り,カメラを見つめ,途切れ途切れに語るシーンがイエスの顔が迫るクローズ映像で続く。やがて町に着き,説教するイエスのシーンは遠景。それはまるで20世紀の演説と聴衆そのものだ。もちろん,ユダヤ神話をそのまま書きましたみたいな意味を推し量らないとわからない無声映画的描写も多いのだが,全体はイタリアンレアリスモそのものである。
現在公開されたものからはカットされているが,明らかにマタイ伝とその信者によるフィクションと考える最後の,磔刑に処されたイエスが叫ぶと町を崩し,復活に至る場面の前は,「マタイの書を信じる人々は次のようなことがあったと信じている」のクレジットが挿入されていたそうである。
とにかくハリウッド映画などでは脇役どころか台詞無しのエキストラとしてしか登場しなかったイエス・キリストが主人公であり,生きたイエスが初めて描かれたと言えるこの映画。当時のローマ教皇は大変お気に入りだったとのことである。