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アート・オブ・ジョイの作品紹介

アート・オブ・ジョイのあらすじ

死後に刊行されて大きな反響を呼び、作家ゴリアルダ・サピエンツァを現代イタリア文学における重要な作家としての位置を決定づけた小説「L'arte della gioia」を映像化した大作。監督は、「外の世界」で主人公ゴリアルダ役のヴァレリア・ゴリーノ。1900年1月1日、シチリアの貧しい家庭に生まれたモデスタは修道院に迎え入れられ、その知性と頑固さにより総長の寵愛を受けるようになる。幼い頃から知識と愛、自由への欲望に突き動かされ、幸せを追い求めるためなら何でも厭わず、喜びと快楽を享受する権利を勝ち取っていく。

アート・オブ・ジョイの監督

ヴァレリア・ゴリノ

Nicolangelo Gelormini

原題
L’arte della gioia/The Art Of Joy
製作年
2025年
製作国・地域
イタリアイギリス
上映時間
317分
ジャンル
ドラマ

『アート・オブ・ジョイ』に投稿された感想・評価

Stando
4.5
イタリア映画祭2026、14本目。
317分、途中には20分間の休憩も挟まれる。これで最後。

貧困、暴力、宗教、階級社会。
モデスタが女として生まれた時点で自由を奪われる世界の中で、彼女は最初から従順に生きることを拒否している。でも彼女は、いわゆる強い女性像として描かれているわけではない。

善人でもないし、道徳的でもない。時に冷酷で、自分の欲望にも正直すぎる。だからこそ、目が離せなくなる。

テクラ・インソリア の演技は本当に凄まじかった。演じているというより、その身体の奥に剥き出しの生命力そのものを抱えている感じがする。その目だけで、この女性がどれほど長い時間、世界に奪われ続けてきたのかが伝わってくる。

彼女の欲望はスキャンダルではない。それは、自分の人生を他人に決めさせないための抵抗だ。だから、この映画における性愛はとても自由で、同時にどこか悲しい。

本作品は、観客を癒やす映画ではない。むしろ、人間の欲望や矛盾を剥き出しのまま差し出してくる。でも、その混沌を最後まで見届けた時、不思議な解放感が残る。

5時間を超えるこの映画を観終わったあと、モデスタの人生が、まるで実在した記憶みたいに身体へ残っていた。間違いなく、今年のイタリア映画祭で最も強烈に記憶へ残った作品だった。
3.8
イタリア映画祭2026にて。

テレビドラマ6話分を映画にした5時間超の大河ドラマ。勝手に重厚な文芸作品的なものを想像していたら、意外にドロドロのジェットコースタームービーで、Part3があっても喜んでみられる!

1900年初頭のシチリア。田舎育ちの少女は孤児となり、修道院に引き取られるところから始まり、より良い人生への執着を見せてのし上がっていく。

1910年代は第一次世界大戦、スペイン熱の流行などがあり、貴族社会にとっては「山猫」の世界よ(小説の「山猫」は1910年代で終焉を迎える)。そんな中に田舎育ちの平民が入っていく。愛や生、居場所を求める執念はすごいもので、彼女ならどこでも生きていける。

話は極端で、一昔前のケータイ小説的だけど、編集やカメラワークに勢いがあり、夢中になったわ。

そして、主人公テクラ•インソリアの目力よ。満島ひかり(前後編の「愛のむきだし」)、「アブラハム渓谷」のレオノール•シルヴェイラ(こちらも長いからか)を想起させる。カメラ目線の彼女にはドキッとしてしまうわ。

脇を固めるジャスミン•トリンカやヴァレリア・ブルーニ=テデスキの演技の迫力も。
Oku. 26-29。イタリア語版。映画祭で公開されるまえに鑑賞。スカイのテレビドラマのシリーズ1で全6話からなる。

シチリアの貧しい家に生まれたモデスタが、悲劇の中で家を抜け出し、修道院に救われると、修道院長のレオノーラ(ジャスミン・トリンカ)の庇護のもとで好奇心を育み、知識欲を満たしてゆく。その知こそは彼女を解放する力となるわけだ。

とはいえ、幸福/喜び(gioia)への果てしなき渇望のあまりに、焦がれるレオノーラから拒絶され反発すると、空を見あげ天文学を学んだ場所を悲劇の舞台に選ぶ。モデスタにとってのレオノーラは、たしかに「救済者」ではあったが、同時に神の世界/信仰への服従を強制する「支配者」でもあったわけだ。喜び(gioia)の追求は、支配からの解放と表裏一体なのだ。だからこそあの悲劇が起こる。

悲劇は、モデスタが修道院という閉鎖空間を脱して、貴族社会(ガイアの世界)へ移行するための転換点となる。レオノーラの殺害を自殺に見せかけることは、モデスタにとって運命を自分で選び取るための必然だったというわけだ。

加えて「鐘楼」だ。それが神という権威、宗教的秩序の象徴なのだとすれば、レオノーラを落とすことで、宗教的権威を殺し、自分自身の生を選ぶための解放の行為でもあったはずだ。

彼女にとって喜びの追求とそのために必要な解放は、善悪の彼岸にあるというわけなのだろう。だからこそ実の母も、第二の母であるレオノーラも、それが母なる権威となり、母子の関係が牢獄となるとき、打ち倒すべき対象となるわけだ。いってみればモデスタは、憎しみからではなく、愛し、学び、その支配を超えるために殺すのだ。ゴリアルダ・サピエンツァが描くこの悲劇は、単純な悪ではなく、自由の代償なのだろう。

皮肉なことは、レオノーラは修道院長としてモデスタを修道院に止められないと判断し、推薦/依頼の手紙を書いていたことだ。レオノーラは死の前に、モデスタの知性や特別さを理解し、単なる孤児や修道院の下働きで終わらせないため、次の居場所を用意していた。それが自身の出自でもあるブランディフォルティ家であり、そこでガイアの君臨する世俗的な世界に入ってゆくことになる。

 ガイア(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)は、レオノーラと対照的な人物だ。どこまでも世俗的な貴族として、モデスタを受け入れ、観察し、最終的にはその能力を認めて、自分の後継者に選ぶ。

 この世俗的な女領主(principessa)には、ふたりの子供がいる。ひとりはベアトリーチェ(アルマ・ノーチェ)。美しいが足に障害を抱えている。その兄イッポーリトは先天的な障がいによって、その顔が変形しており、それゆえに生まれてからずっと屋根裏部屋に閉じ込められている。

 イッポーリトを演じた Giovanni Bagnasco は、自身が先天性疾患である「Treacher Collins症候群(トリーチャー・コリンズ症候群)」を持つ。監督のヴァレリア・ゴリーノは、このイッポーリトという登場のために特殊メークに訴えるのではなく、実際に症状をもつ人物を選んだというわけだ。そのたりのことがSky の記事には紹介されているので、リンクをはっておく(https://tg24.sky.it/spettacolo/serie-tv/2025/04/02/giovanni-bagnasco-attore-arte-della-gioia?utm_source=chatgpt.com)。

モデスタは、この新しい居場所でその幸福/喜び(gioia)を追求してゆく。お相手はベアトリーチェ(Alma Noce)、運転手ロッコ(Giuseppe Spata)小作人頭(Gabellotto)のカルミネ(Guido Caprino)という顔ぶれ。同時に、貴族の世界をガイアによって手解きされながら、その才覚を発揮してブランディフォルティ家の館荘園を取り仕切ってゆく。

時代は第一次大戦から、それに続くスペイン風が流行する1920年代。そしてモデスタは、幽閉されていたイッポーリトと共感し、彼の心を安定させ、ついにはガイアの許しを得て結婚することになる。

モデスタにとってこの結婚は、ブランディフォルティ家の一員となる鍵となる。病気の息子をどこまでも怪物扱いして認めないガイアとも対立する。この館の権力者は、どこまでもガイアなのだ。こうしてふたたび、レオノーラとの間に起こったことが反復される。母殺しだ。

こうしてブダンディフォルティ家の館を取り仕切ることなったモデスタだが、ラストシーンがすばらしい。都会を厭い田舎に引きこもっていたガイアが亡くなったとき、ベアトリーチェとモデスタは大都会カターニャの館へ繰り出してゆく。

貴族たちと館の人々の視線がそそがれるのはベアトリーチェであり、ここでのモデスタは不可視の存在となる。それでもモデスタはめげるどころか、むしろ視線を好奇の光に輝かせながら、一人歩み始めて新しい世界を探索してゆく。

カターニャの街での屈辱的な扱いのなか、人々が単に貴族社会のなかに閉じこもっているなかで、モデスタはその先を見ている。全てを見て、学び、そして権力者から力を奪い、みずからの自由をつかみとること。それこそが「喜びの技術」。

モデスタは、やがて暗い路地を通り抜けたところで、海の広がりを見る。それはカターニャの海。ヴェルガが『マラヴォッリャの人々』で描き、ヴィスコンティが『揺れる大地』を撮った海。そしてその海の向こうにはイタリアの新しい時代がある。1920年代からイタリアは、あのファシズムの時代へと進んでゆくのだ。

サピエンツァの原作は、そこからモデスタが第二次世界大戦後の時代までを生き抜いてゆくさまを描くのだという。期待が高鳴るのだけど、まずはこのシーズン1が成功してもらわければこまる。そのためにも、日本での配信を期待したいところ。世界中で人気が出れば、シーズン2、3へと進むのではないだろうか。

追記1
エンディング・クレジットに流れる曲 "Parola" がよい。この曲は9つの単語を8拍子のなかでずらしながら反復するマントラのような構造になっている。L'arte della gioia(喜びの技術)のありかを示してくれているようではないか。

https://www.youtube.com/watch?v=8x-OcJWDXpM