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ロッキーのsatoshiのレビュー・感想・評価

ロッキー(1976年製作の映画)
4.7
 最初に観たのは大学生の時でした。しかしその時はさして感動はせず、「アメリカン・ドリーム的な映画だなぁ、努力すれば何とかなるのだなぁ。でも正直、タクシー・ドライバーの方が良いだろ」などと、愚にもつかないことを考えていました。しかし、色々な人の意見を見ているうちにもう一度見てみたくなり、鑑賞しました。結果、大学生の頃の自分は愚か者だと思い知らされました。この作品は、アメリカン・ドリームだとかではなく、人生について大切なことを教えてくれる傑作です。

 ロッキーは場末の三流ボクサー。周りからは「クズ」と呼ばれ、借金の取り立てで生計を立てているどうしようもない男です。そしてその周りの人間も、皆荒んでいます。街は荒れ、太陽が射し込まず、常に曇りです。まるで人々の気持ちを代弁してるかのように。そんな中、ふとした偶然から、世界チャンピオンであるアポロの挑戦権を得るのです。

 ここまで書くと、単なるアメリカン・ドリームに見えますが、本筋は違います。それは、ロッキーのこの台詞に集約されていると思います。

 「俺は今までろくでもないゴロツキだった。でも、今回の試合を最終ラウンドまで立てていられたら、自分がゴロツキじゃないことを初めて証明できるんだ。」(うろ覚え)

 これです。ロッキーはこの試合に勝つためではなく、己のために全力を尽くすのです。それまでクズだった男が、1人の人間であるために、自分に誇りを持つために全力を尽くすのです。全力でトレーニングして、最初は上がりきったときはへばってしまった階段が、難なく上がれるようになる超有名なシーンがあります。そこで街に初めて日が射します。それは、街の人やロッキーの心に光が射しこんだ瞬間だったと思います。そして、その全力の結果を最後に見てほしいのは、ずっと彼に寄り添ってきたエイドリアンなのでしょう。だから最後に叫ぶのです。「エイドリアーン!」と。

 これは映画の中だけの事ではないでしょう。人生の中でも重要な事ではないでしょうか。まだそんなに生きてないので何とも分かりませんが、人生で、自分が自分であるために戦わなければならない時ってあるのではないでしょうか。そこに勝ち負けは関係なくて、自分が誇りを持てるように全力を尽くしたかどうかじゃないのでしょうか。まぁ結果もついてくればいいですけど。実に普遍的な事だと私は思います。
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