映画漬廃人伊波興一

戦争のはらわたの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

戦争のはらわた(1977年製作の映画)
4.3
5秒に一度の大爆音。映画史全ての火薬が詰め込まれています。
サム・ペキンパー「戦争のはらわた」
この映画の真の主人公は泥にまみれ、虎視眈々と襲撃の機を窺う、一点の瑕疵もない(虚無と混沌)
陽光、風向き、気温といった条件にはまったく左右されずに一気に飛び出します。
大体、戦争映画でありながら対戦相手のロシアはひたすら襲撃してくる様子以外、ほとんど描かれません。
唯一、奇襲した先の小屋に潜伏している敵国兵士は女性ばかり。
本来なら敵国の、しかも戦況を潜り抜けてきたとは、とても思えないロシアンビューティーたちが所せましとひしめき合っていたなら、戦時下では常に禁欲を強いられている飢えた兵士たちの格好の餌食となる筈ですがペキンパーはそれを固く禁じ、むしろ彼女たちを優位に立たせております。
ペキンパーが本作で戦う相手として描いているのは、見棄てられた者でも、立ち竦む者でも、自分の行く末に思いめぐらせる者でもありません。
用意周到に生きている私たち、きな臭い世間で幸福に慣れ親しんだ私たち、偽善と分かりながら目を瞑る私たち、見ざる聞かざるという違和感を忘れた私たち、大多数意見に安易に迎合してしまう私たち、そして計算高く先見ある行動をとれる私たち、です。
あらゆる現場で「5秒に一度は怒鳴っていた」と言われるペキンパーに呼応するように「戦争のはらわた」は文字通り130分間途絶えることなく爆音が続きます。それまでの映画史の中で未使用だった火薬を使い切るような勢いで。
彼自身も関与したとされる小刻みな編集とお家芸でもあるスローモーションに乗せて粉塵が舞い上がり、兵士たちの身体が宙へ吹き飛ばされていくさまは、爆撃に次ぐ爆撃の場面に相まって実に凄まじい。
映画自体が出口なしの絶望と人間性を忘れた狂気が渦巻いておりますが、本作の撮影現場でも、これまで不協和音が当たり前のペキンパー現場を超えるレベルの混乱が広がっていたそうです。
文字通り「寝ても地獄、覚めても地獄」状態。
そして出来上がったのが全てのカオスを飲み干したかのようなこの怪作です。
一師団を率いる、深皺の鬼軍曹ジェームズ・コバーンが中盤、療養先の病院であれだけの美人看護師との恋仲になりながら、常に戦うことで躍進して、怒りを推進力に変えてきた呪縛から逃れられずに再び戦線に戻ってきた凄みからもペキンパーの執念と責任感が見て取れる筈。
ペキンパー自身も製作現場の“混沌”から映画の骨を築き、血を迸らせ、肉を熟成させていきました。
そもそも自分の映画のプロデューサーをいつもクソ呼ばわりして「あいつら生きたまま相手を食らうハイエナだ」とまで揶揄したペキンパーです。
そんなペキンパーとプロデューサーの関係性は、互いにブチのめしたいほど反目しながらも、その実、映画製作という戦場で同じゴールを目指して“共闘”せざるをえない。
そのありさまはコバーンとマクシミリアン・シェルの二人の関係性にわかに浮かび上がってきてますね。
「あんたが俺の小隊だ」と告げ、マクシミリアン・シェルを撃つことなく銃を与え、混戦の中に二人で飛び出して行く場面。
あれほど偉そうに戦略・戦術の能書きを垂れていたマクシミリアンが実はMP40の弾倉再装填法さえ分からずにあわてふためく姿を哄笑するコバーンの声は、コンプライアンスという欺瞞に満ちた40年後の今でこそ、ペキンパー自身の嘲笑として響いてきそうです。