ろく

ロボジーのろくのレビュー・感想・評価

ロボジー(2011年製作の映画)
3.7
矢口史靖はあくまで「映画」を撮り続けようとする。それがコメディであるとしてもね。たぶん矢口にとって「映画」とは「画」で語ろうとすることなんだ。それは今いる多くの十把一絡げなコメディ監督とは違う。

一例をあげよう。この作品ではロボットが壊れてしまい着ぐるみよろしく爺さん(ミッキーカーチス)が中に入る。矢口の作品では多くを語らないが爺さんは孫にロボットを見せたいため勝手に孫の家に行く。そこで汚れていることを嫌うのかロボットなのに(まあ中は爺さんだけど)勝手に雑巾を出し、ロボットの足を拭く。特筆すべきはここで当然ポンコツなボケなんだけど誰もそこに突っ込まないんだよ。語らない。矢口の映画は「言葉」で語ることを嫌い、映像で「魅せよう」とする。

それは言葉でコメディを見たい(特に日本映画ね)人には不親切極まりないことだ。でもコメディを言葉で語ってしまってはいけない。それは矢口がいつも思っていることなんじゃないか。だから「ウォーターボーイズ」でも「アドレナリンドライブ」でも、そして「サバイバルファミリー」でも言葉での語りは少なくなるんだ(これ今のコメディと言われるアイドル映画なんかとは大きく違う。例えば「賭けグルイ」なんかは自分の心情や突っ込みをすぐ言葉に出してしまう。安易と言えば安易じゃないか)。

そして俳優に頼らないというのも矢口の性格だ。いやほかのコメディだったら1線級(綾瀬はるかとかね)をどうだどうだで出してくるけど矢口はどうだろう。「サバイバルファミリー」では小日向文世だし、「ダンスウィズミー」では三吉彩花だ。申し訳ないけど主役というにはあまりに貧弱(この映画なんかミッキーカーチスだぜ)。そこには矢口の映画>俳優という映画至上主義があると思う。

だから結果売れない。

「秘密の花園」や「ウォーターボーイズ」で人気が出たはずなのに(それは「スウィングガールズ」で典型になる)、今は徐々に先細り。「ダンスウィズミー」の大惨敗は記憶に新しい。コメディなんだからもっとわかりやすくしろ、コメディなんだからもっと華やかにしろ。そんな言葉に矢口は背を向け、そして失脚した。


でも僕は矢口が好きだ。日本で数少ないコメディを撮れる監督だと思う。この作品でもミッキーカーチスの最後の笑みに全てが入っているじゃないか。コメディとは?笑えてドキドキして少し吃驚し最後は幸せになる。定型と言えばこれほど定型と言える映画はない。その定型を僕は好ましく思う。
ろく

ろく