教授

水の中の八月の教授のレビュー・感想・評価

水の中の八月(1995年製作の映画)
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個人的な思い入れもあり、どうしても客観的には観ることができない映画。
手放しで評価してしまう。

17歳の頃に初めて観て、早くも「無気力」だった当時の自分の「再生」についての「感触」に酷く表層的に共感していた。
そのため、まずは本作に関してはすべて肯定的なスタンス。

はっきり言ってしまうと、ストーリーは「陳腐」な部分も多く、説明的なセリフ回し、加えてより説明的なモノローグ。
さらにも増して演技的に未熟な若手俳優たちや、俳優未経験者たちの滑舌の悪さ(さらに小声)と、それに対して効果音や劇伴はまるで「ジャンプスケア」のように爆音で響くストレス。
周囲をまったく気にしない劇場でのバランスなら気にならないだろうが、家庭での視聴には向かない。

ただモチーフや、イメージに纏わるショットと編集のセンスやバランスは他の石井作品の中でもより秀逸。
ほぼデビュー当初の小嶺麗奈の儚げな「美少女SF」のエッセンスと、高飛び込みのアクションは、競技にまるで関心がない僕も圧倒される。
何よりほぼ16mmフィルムで撮ったとは思えない美麗なショット、画面の連続で圧倒される。

これはきっと多くの人には伝わりづらいことだが、少なくとも1990年代の「福岡」の街並み。
自分はそこに住んでいたりしたので感じられる「東京」でもなく「大阪」でもない山と海がある特殊な「霊場」としての切り取りに胸が躍る。

ジャンル映画的で、典型的な「SF」という映画独特の「緩さ」に対してとか「スピリチュアル」だと半ば半笑いで警戒されるような世界観やギミックを膨大に積み重ねて、卑小な世界観の中で、個人的には稀有な世界観構築を為し得ていると思う。

少なくとも、僕個人のアイデンティティには、厄介な潜在意識の中で、こんなオカルト的なスピリチュアリズムが存在していて、どうしても否定し切れない、むしろ大絶賛したい映画なのである。
ただどうしても「ありき」な展開や、露骨に「ダサく」見えるディテールも多く、だからきっと「カルト的」な作品として見られているどころか、忘れ去られてしまってもいるのだと思う。
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