DanyangQifu

ペーパー・ムーンのDanyangQifuのネタバレレビュー・内容・結末

ペーパー・ムーン(1973年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

昔、小さい頃に一度観たことがあったが、意外と覚えていないものである。たまたまこのあいだプレミアムシネマでやっていたため、懐かしく思い視聴した。

「アゴが似ている」この言葉を聞くだけで、ほっこりとした気持ちになる。初めは仏頂面ばかりのアディも、だんだんと表情や仕草に変化が見られ、時には大人に憧れるお年頃な一面を覗かせる。(香水の付けすぎで、翌日窓を開けられていたが(笑))
詐欺師であるモーゼはモーゼで絶対に父親ではないと拒否してるが、話が進むに連れて仕事をしている時は自然と娘と呼んだり、自身が危ない目にあい、自分の収入やアディの今後のことも考え、アディの叔母の元へ送ることを考えるなど、親子の愛情が芽生えているように見えた。
「ニセの親子」なのに「ホントの親子」のように見えるのは面白いと思った。さらに面白いことに演じている役者のこの二人は「本当の親子」なのだから、作中では本当かどうか見え隠れする中で思考する余地があるのも良い。(まぁ、アディの母親と関係がなかった訳ではなさそうなので、そうなのかな?と私としては疑っている。)

「ペーパー・ムーン」とは当時アメリカで流行ったものらしく、ペーパームーンを背景に記念写真を撮ると「人生の幸福な時を記録する」という意味があったそうだ。
アディにとって、モーゼと過ごした日々は「幸せな時」だったのだろうか。
またこの映画の題名の「ペーパー・ムーン」は「It’s Only A Paper Moon」という曲からきている。この曲を聞いたことのある人もいると思う。歌詞の意味を和訳していくと、「あなたが私を信じてくれれば、ただの紙のお月様だとは思えない」という部分がある。作中で二人は何度も詐欺を行う。それは嘘なのだけれども、「嘘だと分からなければ本当」なのである。多くの人の元を訪れては聖書を買わせていたが、それはただの聖書ではなくて、故人からの大切な贈り物と買った人たちは想い続けるのだ。確かに人を騙すのは悪いことだと思うが、聖書を買った人たちは誰一人としてモーゼたちを憎んではいなかった。
アディもモーゼのことを「ただのニセの父親ではない」と「この今が幸せなのだ」とペーパームーンの場面では伝えたかったのかもしれない。(そういえば、その後モーゼ関係が崩れると危惧したアディは、大胆に関係を修復しますよね。)

敢えて白黒映画としている点も、不況による少しの不安感が演出されていて良かった。それでも憂鬱な雰囲気にならないのはすごいと思う。

最後はずっとこのまま二人とも変わらずに関係が続いていくような、そしてそれをずっと見守っていたくなるような形で終わるのが印象深い。