ヤンデル

レイジング・ブルのヤンデルのレビュー・感想・評価

レイジング・ブル(1980年製作の映画)
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・ジェイク・ラモッタは実在したボクサーで、引退後は映画の通りスタンダップコメディアンをやっていた。

・ラモッタがライターに書かせた自伝の映画化は元々デ・ニーロが切望していた。ただ、暴力が嫌いなスコセッシは当初はやる気がなかったという。しかし、女性に対する異常な感情や暴力性によって栄光や幸福を自分で破壊した自身の生活とラモッタを重ね合わせたスコセッシは映画を作ることにしたという。

・当映画はスコセッシ、デ・ニーロの「タクシードライバー」より後の作品なので、すでにカラー映画の時代だが敢えてモノクロ映画にしている。その理由は自伝の中でラモッタが自身のボクサー時代を「モノクロ映画のようだ」と言ったためと言われている。

・劇中のラモッタのファイティングスタイルは相手のパンチを受け、フットワークもなくにじりよってボコボコに殴るようなものになっている。メイクの技術によって顔が潰れ、不穏な音を入れることによって異常なシーンとして試合を描いている。つまりスコセッシはスポーツとしてではなくボクシングの暴力性を強調している。

・ラモッタ自身はこの映画を観て「俺はこんなにひどいのか」と言ったが、妻のビッキーは「映画の方がマシよ」と言ったという。

・この物語は自己罰の話でもあり、わざと殴られたり、自分の性欲を煽って我慢したりといったシーンがある。クライマックスで倒れずに殴られ続けるのは兄への贖罪のため(だが、兄たちには何をやっているのか伝わらない)。

・ラストで「僕はチンピラじゃない」と鏡の前で言うシーンはマーロン・ブランドの映画「波止場」のセリフを引用している。このセリフは「ロッキー」でも引用している。

・最後に聖書の中の、盲目の男がキリストに目が見えるようにしてもらったことについて「私は彼が罪人かどうかわからない、しかし言えることは私は目が見えるようになったことだ」と話すことが引用される。これは、映画化によってラモッタの罪を断罪したいわけではなく、スコセッシがラモッタの映画を作ることで目を開いた、ということを言い表している。
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