Tully

バットマン リターンズのTullyのネタバレレビュー・内容・結末

バットマン リターンズ(1992年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

前作で出し切れなかったバートン監督の世界観が今作では頂点を迎える。よりダークに、よりファンタジックに。楽曲も「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」のようにホラー要素もありファンタジーあるれる曲が美しい世界観を作り上げている。本当に彼が作る世界観はバットマンとの相性の良さを感じる。90年代シリーズのカラーである「ヴィランズが主役」という要素が最も強い作品でもある。全編のほとんどが、ペンギン、キャットウーマン、そしてマックスに焦点を当て進んでいく。人間に捨てられ、人では無くなってしまったペンギン。彼らへの恨みと人として認められたいという思いが彼の中で同居する。その思いを利用するのが企業家のマックスであり、セリーナをも殺した彼が今作の実質的一番の悪である。人間の狂気がモンスターたちを作り出したという皮肉にもとれる。何より一番の成功はキャットウーマンことセリーナだろう。原作のコソ泥という設定とは違うが、彼女にドラマを持たせ「似た者同士」であるバットマンと共鳴し合う姿は哀愁や美しさを感じる。それもミシェル・ファイファーの素晴らしい演技があってこそ。マックスによってキャットウーマンとして目覚めた後の最初のセリフ回しから別人。スイッチが入った瞬間を見たかのようにゾクッとした。その後、セリーナが「自分が何者か分からない」と二重人格に困惑するシーンではとても繊細に演じ「大胆さ」と「か弱さ」のギャップで引き込まれる。彼女はバットマンを復讐の邪魔として見ていたが、それと同じぐらい、彼で発散したい、彼の落ちていく姿を見たいというような、自分のサディスティックさを解放するために戦っていた。その中で彼に段々と惹かれ「好きだから貶めたい」という無意識の思いも薄っすらと見えた気がする。正体を隠したブルースとセリーナがお互い共通する影の部分に惹かれ合い、キスを交わしながら互いの正体を悟った時「私たち戦うの?」という場面は自分にとって名シーンのひとつだ。クライマックスで、ブルースと人生を共にしたいけど復讐だけは譲れないと彼女がとった選択には切なくなる。本当に本当に最高のキャットウーマン像で、原作を超えてしまったのではないかと思うほど。もっと他作でもミシェル版キャットウーマンが見たかった。人間に人として認められたかったという思いを抱いて死んでいくペンギン。もう後戻り出来なくなってしまい来世を選んだセリーナ。やっと分かり合える相手に出会い目の前で死なれてしまったブルース。それでも唯一の希望は猫の命はあと1つ残っているという事。そんな小さな希望を抱きながら迎えるクリスマス。最高のダークエンドではないだろうか。胸が締め付けられる。バートン監督が作り出したどこか現実離れしたファンタジーの世界だからこそ、ツッコミどころも許せる。バットモービルを簡単に他人がロック解除出来るとか、実際のペンギンを機械で操れるとか、どうでもいい。キャラクターたちの完璧なまでのコスプレ姿も全く浮いて見えない不思議な世界。間違いなく最高峰のダークファンタジー作品だろう。「バットマンと言えばこの世界観」と自分の基準にもなっている。最近のヒーロー映画はコメディー、リアル、宇宙パリピなどがヒットしているが、今作は今の作品には無いダークファンタジーとして最も成功したヒーロー映画ではないだろうか。
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