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姿三四郎のニューランドのレビュー・感想・評価

姿三四郎(1943年製作の映画)
4.4
 20世紀の内の本作は、驚くべきテクニック·その艶に圧倒される作だが、中身的には特に··という感じで、せいぜい『天国と地獄』『赤ひげ』クラスの作品でしかなかった。しかし、21世紀に入り、ロシアに保存されていたプリントから、それまでの短縮版に、画質はあまり良くないが10余分が加えられて、原版に近くなると、俄然手応えが、変わってきた。個人的には他の欄で触れたが、今やこれは『生きる』『七人の侍』『わが青春に~』『生きもの~』『白痴』『デルス~』と並ぶ、黒澤という作家にひたすら平身低頭の、大傑作となった。年間ベスト·クラス5本以上、それを含み紛れもない傑作10本以上ある事と、長いキャリアで頂上を保つか更に高めたかの、巨匠を、単純な測り方で決めてった事があるが、判断の基準の是非はともかく、そんな存在、黒澤と同等か以上の存在は、日本で10人程度、世界でも30人くらいしかいないと思う。それくらい偉大な作家には違いない。
 完全版という言い方の再発売が増えたが、長尺版がいいとも限らない。しかし、檜垣絡み·それ以外も小さなステップや秘かな準備段階が、あって、これは非常に厚み·豊かさが加わった。
 この作家は以前カメラだけが単体で目立つような、カメラワークはしない·それは表立たないもの、と言ったがそれはここでも、カメラの動きは、横へが中心で状況·関連性を繋げ·その中での変化をまた向きを変え戻す中で押さえポテンシャルを診てく、というタッチが主で、手法だけが上滑りしないようになってる。矢野を狙う門馬一門の打合せ·堀端での囲みのカットらから、風吹きすさぶススキら深い坂での檜垣との対決の、立会者への側へカメラの動き離れと戻り、それを繋いでの(斜め横)移動で投げてくカットまで、そうだ。しかも、対決·対峙のポイントの瞬間、カット位置は垂直に切り結び切り換わる。他にも俯瞰めLや、90°や正対リバース、結果何段かの寄り·退きカットが、本質メインカットを締めてく。堀端での投げ捨て、公式試合らでもそうだ。
 映画らしい、人物動かず単独カメラ縦移動は、フワフワ実態のとらえれない若い2人の石段辺りでの、寄っていったり、何故か横+退いてったり、また階段下に隠れた2人を追い見晴らすまで、といったシーンで多めとなる。冒頭·路地での姿登場·娘らの悪戯抜け絡みや、試合などでは審判も含めた位置関係の把握·実体化で使われ、カメラは先走らない。カメラを越えて試合中の人間はフレー厶外へも出てく。
 またリリカルな若い2人のシーンでは、受け取った手拭いの感触からだったか、一瞬にして彼女の着物の柄の画面一面に飛躍·切り替わるように、黒澤の映画の原点のリアルより純粋なイメージが飛躍し切り替わる、サイレント映画的純度が極めて高い、作であり、この後リアルや演劇性に傾いてく事を考えれば、これほどの純度は『野良犬』に見られる位だ。汚れ暗い池で明け方浮び上がる蓮の花。投げられ空中跳ぶ、倒れる身体、遅れて落ちる障子窓、らの奇異以上の突き抜け先とスローモーションの多用め。四季と捨て高下駄の動き·移ろい変化のリンク並べ、その際のこまめなDIS繋ぎら。檜垣との対決の暗く艶が以上なトーンでの、強風で深い萱や薄·月絡み雲流れ·人の髪らの傾きや動きの造型や流動感、意識薄れての快晴や蓮の花の一転晴れやか挿入、ら。
 「檜垣らの執念に、また取り憑かれ続けてくか」「いや、檜垣も(また)試合後、人が変わったように」「姿も成長したかの」「いや、あいつは赤ん坊の侭の奴です」。内容的にも、(戦時中、)現実の問題意識に向かえない分、イメージは只、無垢に純粋に向かい、積み上げられ、育まれてく。「強いだけで、己れを捨てられない」「いや、先生の為なら死ねます」「あいつを止めないと」「いや、その時になれば、自分で止める筈」/「心を錬るんだ」/「怖いか」「いえ、再起不能にした門馬の時の様にしかねない、試合相手の村井師範はあのひとの···(親御さんを傷つけるかと)」「馬鹿、思い浮かべろ。あのひとの祈りの美しさを。その同じ無心になれ」「!! 分かりました」/「こんなに研鑽し、全力を振り向けた事はなく。むしろ、(負けて)スッキリと晴れ晴れと。(表面の身体は壊れたも、)心の豊かさへ向かえると」
 後年·晩年の作に、軽快感とノリ厚みが見えなくなったを非難の向きもある。しかし、それは現実と向き合い闘ってきた、傷であり絡まる付帯物の取込みの先の重さであり、また、熟達の先の取捨だ。『夢』『まあだだよ』もやはり傑作だ。作家が衰えているのではない。 観てる我々が勝手に甘え本質を快楽だけに求め、堕落してるだけだ。偉大な作家の本質は変わらない。木下·清水·田坂·川島、ルノワール·ホークス·フォード·ゴダール、最晩年まで「その時」の傑作を放っている。
 「いいです。いいです」断りなのか、受け入れなのか、照れて舌足らずの三四郎の返事の繰返しが微笑ましい。『アタラント号』『アマルコルド』『河』『爆音』らに繋がる映画の至福を味わえる。
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