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ピープルvsジョージ・ルーカスのnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.7
 ジョージ・ルーカスの処女作『THX 1138』において、主人公のロバート・デュヴァルは恋仲だったマギー・マコーミーを捨ててまで、管理社会からの脱走を試みる。ラストの夕日(朝日?)をバックにした主人公のシルエットは時代の反逆者のイメージであり、反権力の象徴だった。ところが2作目『アメリカン・グラフィティ』が配給会社であるユニバーサルの予想を覆すヒットとなり、続く『スター・ウォーズ』も20世紀フォックスの読みを遥かに覆すヒットを飛ばすと、彼はルーカス・フィルムを設立し、何者にも縛られないコントロール体制を築く。だが皮肉なことにその何者にも縛られない自由な創作体制というのは、彼のクリエイティビティを守りつつも、個人主義の権化に肥大化させる。盟友であり、『アメリカン・グラフィティ』公開の際には恩人だったフランシス・フォード・コッポラと袂を分かち、『帝国の逆襲』で監督を任せたはずのアーヴィン・カーシュナーとは撮影の段階でことごとく揉め、犬猿の仲に陥る。だからこそ次の『ジェダイの復讐』ではイエスマンであるリチャード・マーカンドを監督に起用し、自らもノリノリで製作総指揮を務めるが『帝国の逆襲』ほどの評価は得られず、その後19年間の沈黙に入る。そこには愛妻だったマーシア・ルーカスとの確執と離婚問題も暗い影を落としている。

 今作において最も興味深いのは、多くのファンはもれなく『スター・ウォーズ』教の信者でありながらも、それを生み出したジョージ・ルーカスには一定以上の尊敬を持っていないことである。彼らの多くが、幼少時代に映画館で観た旧3部作の内容に感動し、人生を狂わされるような衝撃的な体験をする。ポップ・カルチャーで言えば、ビートルズとの出会い以上のスペシャルな体験であり、本来ならば旧3部作で完結するはずだった大河ドラマの続きに対し、それぞれが幸福な夢想をしている。だがその夢に対して、未来に希望が持てなければ、彼らはいったいどうなるのか?ルーカスとファンの亀裂の端緒となるのは、97年に公開された特別編におけるルーカス側の一方的なCGの付け足しである。彼にとって稚拙に見える場面をことごとく新しいテクノロジーで塗り変え、オリジナル版のフィルムは消失したという理由で、新しく作った特別編しか見せようとはしない。しかしファンが求めているのは自分達が若い頃に観たものとまったく同じ映像だろう。亀裂が決定的になったのは『エピソード1/ファントム・メナス』である。特に新キャラであったジャー・ジャー・ビンクスの登場に対する失望感が世界中から聞かれ、最悪だという評価で埋め尽くされた当時の苦い思い出を語る。

 公開された新作には、『スター・ウォーズ』シリーズの全ての権利をディズニーに売却した想像主であるジョージ・ルーカスは一切関与していない。その一因として挙げられるのは、ファンのバッシングに疲れたからと幾つかのインタビューで答える。確かに彼は『THX 1138』や『アメリカン・グラフィティ』の頃には考えられないほどの富と名声を手にしたが、映画監督としてのキャリアは『スター・ウォーズ』シリーズ6部作の完成をもって皮肉にも終焉する。
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