垂直落下式サミング

のど自慢の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

のど自慢(1999年製作の映画)
5.0
お馴染み「のど自慢」を題材としたコメディ。
日曜昼の国民的番組「のど自慢」が群馬県は桐生市にやって来た。地元に帰ってきた売れない演歌歌手や、家庭に不和のある女子高生、人生の立ち行かないお父さんなど、さまざまな事情を抱えた人々が晴れ舞台を目指して予選会場へと集まる。
ネタに走って滑るとか、あがって歌詞とばすとか、控え室の歌手かぶり曲かぶりで険悪になっちゃうだとか、自信あったのに落選でガッカリだとか、オーディション予選あるあるが面白いし、何より審査員が出演者のどこを見ているのか、番組製作の裏側までみせてくれるのも面白いっ!
やっぱ、上手さとキャラ立ちなんだろうな。竹中直人と尾崎紀世彦かぶりしたら、勝てませんわ。ほか、寅さんの格好をした人がチョロチョロしているなど、みどころ多め!ギャグは、オバチャンの「そんな服あげるわよー!」がいちばん好きでした!
予選会の日の待ち時間、ロビーで弁当を食べるとき、横に座ってる孫を立たせて、足の悪そうなおじいちゃんを座らせてあげるおじいちゃんも。人間愛に満ちている場面でした!
いちばん暖かみを感じるのは、群像劇のかたちで、のど自慢という番組のよさをしっかりと伝えていること。歌が好きな人、表現したい人、テレビに出たい人、とかく見てもらいたい人、そういう人たちのために用意された場所だってことに、しっかりと理解がある。だから、みんな仕事や学校が休みの日曜日のお昼に生放送ってなわけで。
ここはそういう人たちのために用意された舞台。長年の夢、趣味、青春、道楽、野心、再起、腕試し、思いで作り、自棄っぱち、等々…、多様なスタンス、ピンキリの力量、あらゆるベクトルに向けられた動機、この場所ではそれらすべてが同格化され肯定される。
新年第一回放送は、トップバッターが産気付く大ハプニング。井筒和幸映画では、妊婦と出産は神聖なものとして扱われ、新たなはじまりを象徴する。
神聖な場所となった舞台上で、伊藤歩は姉を思いながら歌い、室井滋が大きな手の振りで自分を解放して、うだつの上がらない大友康平はやっぱりドジっちゃった。でも、それでいいんです。
その場に立ったなら、半音違ったって鐘ふたつだっていいんすよ。私は舞台に立ったんだという、ささやかな成功体験くれる。素晴らしいじゃないですか。
YouTube上でプロ顔負けのアマチュア歌い手があらわれ、メインストリームにおどり出て一躍時の人みたいなインターネット時代のサクセスの方法をみていると、ある程度の野心がないと舞台の上に立つのは相応しくないだとか、ある程度の水準に達してないと表現しちゃ見苦しいんだとか、そんな空気が形作られつつあるけれど、ぜんぜんそんなことないんだよ。
ただ、歌が好きだってだけで、一般人であっても壇上に立てる。間口の広くひらかれた舞台、それが「のど自慢」というやつです。
たった一節にドラマがある。一般人参加型テレビ番組のなかでも、もっとも高度に完成されたフォーマットの長寿番組なんだから。のど自慢があるうちは、NHKをぶっ壊すだなんて思い上がらないほうがいいですよ。
ポツンと一軒家に行くとか、交通費あげるから家ついて行くとか、そんなのは下品で亜流な民放にまかせとけばいいの。日本には、これがあればいいの。これで、だいじょうぶ。愛がすべてさ!