ニューランド

女の花道のニューランドのレビュー・感想・評価

女の花道(1971年製作の映画)
3.7
永く観るを切望しててやっと観れた作品。沢島、ひばり、という、映画の最も生き生きした活力・庶民性・才能を代表していた二人の、この後は舞台(・TV)に活躍の場を絞る、共に最後の銀幕用フィクション作品。
コミカル・破天荒・現代的・直線的で花咲かすに至る沢島時代劇は、任侠映画の先鞭製作を経て、’60年代後半から現代劇も時に混じり、やや窮屈な深刻性を強め、以前の現実の力に破壊・破滅を賭け衝突してたのに代わり、その重みを背負いこむようになり、その過程で純粋な古典的ともいえる様式美の粋も見せるようになってくる。本作でも、音響or絵柄で殆ど完全な静寂(雪や河原の自然、無や闇のバック、静止的民ら)を経て、幻視や狂乱や導き放ちの纏まりに何度か至る。そのあたりの呼吸はこの道を究めた人の力まぬ神技だ。
客へのサービス、映画的絞り込みの力、内容による驚きや発見、等には基本的に関心がはらわれてなくて、自分達のために、その噛み締めてきたもの、その踏みしめた所が置かれてゆく。しかし、政争・戦禍にあってもその当事者に語らす、芸の生命力のもたらす力と失われてはならぬ位置、そしてその踊り・舞いの世界における社会的格式・差異は無意味な相互浸食のありよう、がプロットは敢えて平凡な中に執拗に描かれ、ひばりに敢えて歌の世界とずらせ併行する世界の住人とさせて観客におもねるを拒んでもいる。本作を、主に錦之助・ひばり、時に橋蔵や千代之介・御大やそのJr.らと組んだ、仕掛けにわくわく、活動力に突抜けさせてくれた驚くべき傑作と同列に語ることはできない。しかし、映画世界との終焉作はかくありたいと思わせた。
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