お豆さん

ロスト・イン・トランスレーションのお豆さんのレビュー・感想・評価

3.5
サントラを大学時代に聴き倒していたにもかかわらず、いつか良き時を見計らってじっくり見たいと思っているうちに、公開から15年近く。その15年の間に世界は大きく変わったし、周囲の環境も大きく変わって、外国に長いこと住んだりして気付けば自分がロスト・イン・トランスレーション。

ソフィア・コッポラは私的で繊細な表現を得意とする作家というイメージがあるのだけど(実は本作以外に『マリー・アントワネット』しか見ていない)、『ロスト・イン・トランスレーション』はまさに、見る人がそれぞれの個人的体験と重ねながら見ることのでき、見る人によって様々な理解ができるような作品であるように思う。日本を離れてから長い私と、海外生活の長かったイタリア人とで見た。懐かしさと同時に、もはやエキゾチック・ジャパンな目線も入りながら見た私。日本語で話されている内容には一切字幕が付かないから、コミュニケーションのズレから生じるおかしみが分かる。一方、日本語がわからないイタリア人の方は、極東のキラキラとしたエキゾチック・ジャパンに心奪われながらも、ウィスキーを片手に困惑するビル・マーレイ状態。「何て言ってるの?」という質問も無視して私は私で笑っていたのだけど、そういうところがロスト・イン・トランスレーションなのだ。

映画体験とは、一般的に個人的なものだと思う。たとえ映画館で大勢の他人と一緒に見て興奮を分かち合ったとしても、感想は様々だし、心に残るセリフや場面も様々。『ロスト・イン・トランスレーション』は、文字通り言語間の相互理解の難しさを描いているだけでなく、男と女、夫と妻、親と子、人と人、すべての他人との関わりにおける孤独という、現代社会に生きる私たちにとって普遍的な問題がテーマとなっている。とても静かな映画で、余計なものはそぎ落とされ、それ故にシンプルで、誰もが思い当たるところがあるし、あの静かで力強いラストにある想いに何かを思うだろう。それでありながら、見る人のバックボーンだとか、同じ人間でも作品を見るタイミングだとか、そういう諸々の条件によってピンとくる場所が異なる(だろう)ところに、この作品の面白さがあって、その意味でとても映画的な映画だと思う。

ソフィア・コッポラが『ロスト・イン・トランスレーション』によって2000年代的エキゾチック・ジャパンの強烈なイメージを我々に植え付けたのは間違いないだろうが(キアロスタミの『ライク・サムワン・イン・ラヴ』にあるタクシーから見る東京の風景なんか、とても『ロスト・イン・トランスレーション』的だったような気がする)、彼女の父親が参加していた『ニューヨーク・ストーリー』なんかを思い出した。

2017. 17
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