しょうた

おもいでの夏のしょうたのレビュー・感想・評価

おもいでの夏(1970年製作の映画)
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「人生のつかの間の出会い」
ラストのナレーションの中の言葉が、映画の宝石のような輝きを掬い上げていた。

人生は固有のものであり、自らの人生と切り離せない映画があるとしたら、15歳の時に観たこの映画は自分にとって間違いなくそうした一本である。40数年ぶりに(それもフィルム上映)で観て、言うに言われぬ感慨があった。

冒頭の、ミシェル・ルグランの曲と共に流れるノスタルジックな色彩のタイトルバックから、その世界に引き込まれる。

ハーミー15歳の性への目覚め、美しい年上の女性へのときめくような憧れ。家族にも友人にも秘められた想い。
ジェニファー・オニール演じるドロシーは今見ても美しく輝きを放っていて、こうして思い出しても胸がいっぱいになる。ハーミーの視線に重ねながら見てしまう。

夫の戦死を知った傷心のドロシーと無言で踊るシーン。ハーミーの頬に涙が伝う。大切な人の感情を全身で受けとめる15歳。思い出しても胸が熱くなる。

ハーミーをベッドに誘うドロシー。再び夫と愛し合うことはない。甘えや欲望を誰かに受けとめてほしい。ハーミーが自分を性的な対象と見ていることも感じていた。その気持ちにも今なら応えたい。そうした感情がないまぜとなったシーンなのだろうか。
(改めて見ると、男性目線の作り方をしているなとも感じる。下着を取り、みごとなリップが現れるシーンの恍惚間。)

翌日、ドロシーは姿を消していた。「昨夜の言い訳はしません。」置き手紙の一節。愛国の空気の中で夫が戦死した「未亡人」としてのふるまいを顧みているような言葉。だが、そうしたことに縛られない人間の姿がすばらしいと思う。

映画には親を含め、大人はほとんど登場しない。唯一、ハーミーがコンドームを買いに行くドラッグストアの主人がいい。ハーミーもこうした人生の機微を知る大人に成長していったに違いない。
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