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リトル・オデッサのyasuyukiのレビュー・感想・評価

リトル・オデッサ(1994年製作の映画)
4.5
暗闇の中で小さく光る瞳から始まり、宙を彷徨う視線で物語は結ばれる。

壁、窓、扉またはカーテン。空間を横切る隔たりと向こう側にあるもの。その場に留まれば隔たりの先に立ち入る事は不可能であり、その先にある景色を眺める事もまた不可能である。しかし隔たりの向こう側にこちら側から眺めた景色や眺めようとした光景が存在する保証などはない。「リトル・オデッサ」と呼ばれる土地はちょうどその隔たりの間で浮かんでいる。それは閉塞という言葉とは極端に意味を反する、閉じるものすら存在しない幽閉された場所。

兄(ジョシュア)を慕う弟(ルーベン)と弟を守ろうとする兄、息子を殺そうと決意する父親と、父親を殺せなかった息子、死にゆく母親とそれをただ見つめる事しか出来ない父親と兄弟の姿は、隔たりすら存在しない幽閉された場所=「家族」として同じく浮かび上がる。 だからなお一層、雪の降る空の下、白い息を吐きながらソーセージを食べてじゃれあう兄弟の姿があんなにも感動的であったのは、彼らがその空間から距離から不意に解放されたかのように振る舞っていたからではないか。

宙を彷徨うように取り残されたジョシュア(ティム・ロス)の視線が見つめていた先にあるものは、バツが悪そうな表情で母親を挟むようにして座る兄弟の姿だった。そこに父親の姿はない。もしかしたらそれを見つめる視線は父親のものだったのかもしれない。しかしその可能性は極めて低い。宙を彷徨う視線のちょうど真ん中、「リトル・オデッサ」から遠く離れたその場所を確認する術は何もない。
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