『世界が爆発するまで、残り時間は三分』 そんなカウントダウンを始めた少女にとっての世界の消滅とは、まさに「少女としてある私」の終わりのことだろう。自らの身体で感じ取れるくらいに大きくなっていく終わりの予感と、その向こう側にあるものへの予感。その二つの予感の間で揺れ動く少女を演じるエル・ファニングはホントに素晴らしかった。
作中に‘フロイト’という名前が一瞬だけ出てくるから、監督はこの作品をフロイトとかラカンとかそのへんを意識しながら作っているんだと思いながら見た。≪世界=父親、核ミサイル=ペニス、主人公=友人(双子=鏡)、少女=母親(母親にも双子のような存在がいる)≫このような配置とそれらによる関係、ここから浮かぶのはある時代の終わりだ。だからエル・ファニングが宣言する「許す」とは、「完全ではない自分」を受け入れたという事なのだろう。つまり世界は彼女のなかできちんと「消滅」したということだと思う。
とにかくエル・ファニングが素晴らしい。音楽もとても素敵で、セロニアス・モンクの"The Man I Love "には無条件に泣いた。少女から大人へ、その間のわずかな一瞬にだけ爆発する「私」というエモーション。