二本の腕、二つの手のひら、それらが作品の中でどのような役割を演じ、どのように機能し、どのように運動するのか。そしてそこから立ち上がった新たなエモーションは、まだ何も知らない宙へ向かって伸びる一本の腕>>続きを読む
父親の遺産相続を巡って起こる女系家族のドロドロでネチネチのあれやこれなのに、それぞれの欲望がビュンビュンに跳ね回り飛び回る様子は刀の出てこない「活劇」みたいで単純にドキドキハラハラしっぱなし。登場す>>続きを読む
『世界が爆発するまで、残り時間は三分』 そんなカウントダウンを始めた少女にとっての世界の消滅とは、まさに「少女としてある私」の終わりのことだろう。自らの身体で感じ取れるくらいに大きくなっていく終わり>>続きを読む
好きすぎて泣く、という素敵すぎる事が起きてしまうこの作品のことが好きすぎて泣く。。
出会う、走る、追いかける、追いつく、隣に座る、たったこれだけの手順さえ踏めば「理由」なんかわからなくても恋は走>>続きを読む
誰かを見たり、誰かに見られたり、誰かと見つめあったりすることはとても厄介で、例えばそれが「天から来た神の息子」と「死に憧れる処女」の間で行われたりしたら確実に何かは起こってしまう。
19世紀のヨーロ>>続きを読む
自分のいる世界に居場所がない青年と娘が出会ってしまって、さらに二人がボウイとキーチという名前を持つとなれば、彼らの運命は決まっている。
世界から逃げるようにバスに飛び乗り、偶然通りかかった場所で>>続きを読む
「どしゃぶりの雨の中を全力で走り抜ける愛」この作品にはそれがある。でも、恋人たちはどしゃぶりの雨が降っていることも、自分たちが全力で走っていることにも気がついていない。彼は彼女を、彼女は彼を見ている>>続きを読む
姉と弟による何気ない日常が、じっくり丁寧に撮影された光と風の風景と相まって、カットを重ねる度に緊張感を増す。シリーズの特性上それをエロスと言い換えるのは簡単であるけれど、どこか危ういスリリングすぎ>>続きを読む
約90分間ほぼ完全に全部が好きだった。
「いる」と同時に「いない」状態の二人が、お互いを見つけるまでのいたって普通の物語がこんなにも魅力的なのは、丁寧に描かれた「上から下」「下から上」の関係性や、>>続きを読む
トランシーバーが受信するノイズはおそらく冒頭の「あの場所」から聞こえてくるのだろうし、「あちら」と「こちら」を分断する扉もそこで開かれ、二つの世界の間には呪いを刻んだ壁が生まれる。
この作品にス>>続きを読む
とんでもない映画である事実に間違いはないのに、どこか口ごもってしまうのは、「パレスチナ」「イスラエル」という記号にやおら反応してしまうからで、眉間に皺を寄せた物知り顔が「向こう側」への理解の表明にな>>続きを読む
何だかクールでとってもかっこいい。「喜劇」前夜の「文芸喜劇」、駅前シリーズ第1作目。
お馴染みの三人組、伴淳三郎のすっとぼけた会話の妙や、フランキー堺によるエルビス顔負け?のロカビリー・ショウも>>続きを読む
圧倒的なパワーの前でただ目を回らせることしか出来ずに、情けなく口を半開きにして、全身に鳥肌を立てたことだけがこの作品を見た証拠だった。
現れては消え、消えては現れる独立した存在たちの無慈悲なまで>>続きを読む
ラブコメを愛する者の一部にとっては、アダム・サンドラーとドリュー・バリモアが同じ画面に収まっていることほど嬉しいものはない。作中の言葉を借りれば「楽しすぎて、吠える」くらいに嬉しい。
ただ笑って>>続きを読む
少女から大人へと変わっていくとき、死にゆく私はそこにある。
写真という「幻影」に口づけをすることにより成立する呪い、或いは契約と言い換えてもいいそれは少女たちを捕えて離さない。呪いを目の前にして>>続きを読む
わずか一作の著作を残し姿を消した小説家(ショーン・コネリー)、文学的才能を持つ16歳のバスケット少年(ロブ・ブラウン)。舞台はブロンクス、彼らは数冊のノートの中で出会う。
バスケットボールが地面>>続きを読む
クリス・カイルの妻にとって戦争とは音であった。彼女の経験した戦争とはいつもより早く鼓動するカイルの心臓の音であり、カイルからの電話越しに聞こえる雑音まじりの荒い音であり、空を撃つ弔砲の音だった。つま>>続きを読む
0、1、2という数字が作品をコントロールする。例えば、1の身体が2に分裂したり、2の関係から1が生まれたり、1を共有する2であったり、2が1に、1が2に近づけば近づくほど無に近づいて、無とは∞であり>>続きを読む
どうしようもなく情けないヤツが、たった一瞬の出来事でどうしようもなく愛しい人間に変わることは可能であるし、7年間の想いがたった1秒間の誘拐に負けることも至って普通の出来事であると思う。一生かけて悔や>>続きを読む
《ももち》は知っていたけれど、《buono!》というグループは全く知らず、安里麻里監督ということで鑑賞。さすがのホラー映画マナーにそった演出はもちろん最高だったけれど、正直、物語としての仕掛けには>>続きを読む
雪が落ちる白い山。一匹のオオカミが風景の中を横切る。「私」はまだ誰も存在していない。存在しようのない「犯罪者」は雪の中で息を潜める。
「風景の中に流れる意識。風景とは母であり風景とは父である。そ>>続きを読む
暗闇の中で小さく光る瞳から始まり、宙を彷徨う視線で物語は結ばれる。
壁、窓、扉またはカーテン。空間を横切る隔たりと向こう側にあるもの。その場に留まれば隔たりの先に立ち入る事は不可能であり、その先>>続きを読む
何となく「僕」という一人称で感想を書きたくなるような作品だった。
「ぐぬぬっ」と奥歯を噛み締め、「えへへっ」とやり場のない照れ笑いを浮かべて、アホみたいな顔して意味なく空を仰ぎ、深い溜息なんかを>>続きを読む
原作は未読。この作品を見ながら思っていた事は、「あれっ、なんか見たことあるぞ」であったり、「うん、そうなることは初めからわかっていたぞ」だった。つまり作品を見ている画面の前の自分自身はトム・クルーズ>>続きを読む
『緑の光線』というフレーズが作中で不意に出てきたりすれば、こちらは勝手にロメールのそれをイメージしてしまうし、「代替」「交換」「譲渡」「上下」「中間」「媒介」といった映画的な操作をあくまでもポップに>>続きを読む
シャッフルなビートでヒップをシェイクして揺れまくるライブシーンも、静かな町の風景が突然にブギーなミュージカルシーンに変身してしまう瞬間も何回見ても号泣してしまう。。最高です。そして13歳の花嫁役!!>>続きを読む
ゆらゆらと揺れる5つの声が同時に呟く「愛しています」という言葉の響きはとても弱い。彼女たちは、まるでスキップでもするみたいにしてフワフワと頼りないその足取りで、今にも消えてしまいそうな不安定な関係を>>続きを読む
石造りの重厚な門も一旦停止のSTOPマークも点滅する赤信号も、目の前にある障害物も何もかも全てをめちゃくちゃに破壊して、あげくサイドブレーキの故障という贅沢すぎるオマケまで付いた「大暴走」から物語が>>続きを読む
フィンチャー作品の登場人物たちの多くは頻繁に姿を消す。または存在こそしてはいるがそこには無いものだったり、なにやら存在原理が違っていたり、そもそも存在すらしていなかったりもする。 けれどもそれらは「>>続きを読む
アクションが先行して感情を引っ張っていくような作品は気持ちが良い。いささかに唐突なセンチメンタルな気配も、容赦のない物語で五分と五分のイーブンに、そのイーブンな関係性は登場人物たちの描かれ方とも重な>>続きを読む
異常なくらい尋常じゃない緊張感の持続。とんでもなく凄かった。ホントに素晴らしい作品。
何かが起こる予感が張り詰め、実際に何かが起こる。確実に何かは起こってしまったのに、未だに何かが起こる予感だけ>>続きを読む
実はけっこう良く出来ている作品。ラブコメ的にも「ウソ」から「ホント」へと至るストーリーの描き方がとても上品だったし、きっちりとオチのついた「自分探し」の答えも気持ちが良かった。あの安っぽすぎる演説に>>続きを読む
カットが変わるとまるで今まであった世界が姿かたちはそっくりなままに実際には今だかつて見たことがなかった世界として現れているような、一本の作品ではあるものの一つ呼吸をする度に描かれるのは、私としての「>>続きを読む
とてつもなく素晴らしい!もう最高すぎて最高すぎて。
物語開始1秒で「ああ 、 これは非常にやばい予感がする、名作の匂いがプンプンとしている、というかすでに泣いてしまっている、非常にやばい・・」と>>続きを読む
なぜこの作品は二人の兄弟(ジェリー・リーとフランク)を守ろうとするのか、なぜジェリー・リーは子供を殺しても逃げようとするのか、なぜフランクはその兄を受け入れるのか?それをずっと考えながら見ていた。「>>続きを読む
ブニュエルよりもルノワール派。
ポーレット・ゴダード様の美しさに見惚れるばかりだけど物語は相当に異様で怖く汚い、それなのにとんでもなく幸せな気分になってしまうというルノワール魔法が炸裂。
「君がセ>>続きを読む