関ヶ原が終わって流浪して、故郷に帰ったらお尋ね者になっている武蔵(後の宮本武蔵)というのが、冒頭の死屍累々の泥沼のシーンから、内田吐夢監督の満州引き上げの記憶と重なるのではないか、ちょっと思った。
戦場で死者から武具を奪い生計を立てている母娘の高笑いや、千本杉に吊るされ、三國連太郎のギラギラした沢庵和尚との禅問答。「誤りはそれだけか?」というのもそれと重なり戦後の自問自答のように映る。
長い戦乱の終わり、から。世の中は簡単に移り変わっていく中に、戦場の暴力に加担して生き延びようとした。
厚顔無恥なまま命を終えるのか?
という自問自答がすべて、「戦後」の日本に置き換えると物語が違った顔を見せてくる。
「助けてくれ。もう一度生きたい!」
という武蔵の嗚咽。
ある意味で「ランボー」のような話に見えてくる。