「映画として完璧なんすよ」
自分の後任で異動してきた映画好きが力強くそう語ってくれた。
僕も以前観たことがあったはずなんだけど、観たと言いきるにはすでに曖昧な記憶と化していた。彼の一言を受けて僕はその日の帰りに駅前のGEOでDVDを借りた。
まるで思い出せない映画を観ているような感覚、この映画の終わりかたってどんなだっけ?
夫婦喧嘩をした夜、一人で酒を飲みながら鑑賞した。そして思った。
たしかに、この映画は映画として完璧だと。
それはクレヨンしんちゃんの映画に共通して言えることかもしれないけど、話の展開もさることながら、どんな時でも家族や仲間を絶対に見捨てない信念のような、当たり前の日常生活が本当は当たり前じゃないんだってこと、何のための人生なのか、幸せとは何なのか、そんな本質的なことまで考えさせられる。コメディ感覚で観ているとやられる。
この映画が終わった後も、しんちゃん達は春日部で日常生活を送り続けるだろうけど、時が経って高校生くらいになったしんちゃんがつばきちゃんのことをふと思い出す瞬間。きっと全てを思い出すことができなくても、当時の感情はきっと覚えているに違いない。夕陽に照らされた彼女の赤い頬も、少し恥ずかしそうに笑った顔も、正義に立ち向かう勇気も。
世界中の誰かがしんちゃんやつばきちゃんのことを思い出す限り、この映画も日常も続いていくんだろうし、映画好きな同僚と映画の話で和むことが出来るんだろう。
映画は誰かとその時の気持ちや感情を共有する最高のコミュニケーションツールであることを改めて思い出した。
時が止まった世界に想いを馳せて。
いま僕は夜のど真ん中にいる。