『ドリーム』では貫禄たっぷりの上司を演じたケビン・コスナーも、20数年前には、こんなにも繊細な役を演じていたのか。私は、こちらのケビン・コスナーの方が好きだな。ベトナム戦争で心に傷を負い、帰還した後もその傷はどうしたって癒やすことなどできなくて、いつまでもいつまでも自分を苦しめる。でもそこから、まさに身をもって、隣人を助け隣人を愛し、わかろうとし、与えようとし、自分の持てるものを差し出していく。戦争に立ち向かうとは、こういうことなのだ。戦争の落とし前は自分でつける。それは、こういうことなのだと私は教えられる。
子どもたちは、ツリーハウス作りの過程で、グループ間の抗争を激化させていく。抗争している時の、我を忘れる高揚感や、相手を征服したいという支配欲。それは子ども版の戦争だ。
父であるケビン・コスナーの、戦後を生きる姿。その一方で起こる、子ども同士の戦闘状態。この対比が見事だ。そして、子どもたちは父から学び、この戦争をどう終わらせるのか、どう終わらせなければならないのか。
戦争は、人間の本能なんかじゃない。それを終わらせることは出来るのだ。それを起こさないことすら可能なのだ。そう語られる。声高ではない。大事なことは静かに語られる。
*何ももらったことのない(愛を知らない)近所の子らに、綿菓子をあげる場面。もうこのシーンに父の偉大さや、とてつもない優しさがあふれていて、優しさとは強さなんだとあらためて私は強く思う。