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戦争と青春の教授のレビュー・感想・評価

戦争と青春(1991年製作の映画)
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本作のレビューをザッと読み進めて、驚くほど感想が似通っていて驚いた。
そして、僕もまた同じ感想しかない。

「また逢う日まで」があまりにも素晴らしく、感動したので今井正監督作品ということで鑑賞。
そして、実は公開年の翌年ぐらいにかつてテレビで観たことがある。
そして…非常に退屈したのは覚えている。

実際に観返してみて、退屈さは同じだった。どうしても現代劇パートの作劇があまりにもリアリティに乏し過ぎる。
あまりにも作為的な「風化していく戦争」と、戦争を知らず、関心も寄せない子どもたち。
一方で、その戦争体験者が伝えたい、あるいは胸に秘めて伝えたくない体験を、あまりにも従順に関心を持って「自分事」化する様は、老人たちが身勝手に思い描く若者たちの姿でしかない。

もうひとつ。リベラル色というか、思想的に完全に左翼的な姿勢が生む野暮ったさ、というのも本作の物語的なリアリティを疎外している要素でもある。
時代は既に1990年代に入ってしまい、左翼的な社会運動の機運も削がれた時代の焦りや、時代的な反省もなく時代から取り残されてしまったことによる異様さも含んだ貧しさやダサさこそが前傾している。
老人が願望を込めて若者を描く事、あるいは若者をわかったように決めつけてしまう、という弊害が物語のご都合主義をより感じの悪いものに仕立ててしまっている。

奇異に映るのはゆかりと咲子の少女時代を工藤夕貴が演じ、咲子の現代と生き別れになった娘(現在は韓国籍)の李順益を奈良岡朋子が演じているのだが、この捩れた状態が演出というよりも、予算が関係しているように見えて悲しい。
終盤の在日韓国人に纏わるエピソードは明らかに蛇足であるし、咲子の夫である甚作(松村達雄)があの語り口で戦地の話をいきなり始める素っ頓狂さで軽く見えてしまうなど、全体的に拙いつくりになっている。

とはいえ。多くの人が書いている通り。
無駄と言えるほどアイドル映画然とした工藤夕貴の愛らしさ、魅力は全開で外見の可愛らしさや、年齢に対して似つかわしくない色気、そして卓越した演技力など申し分ない。
そして、終始グダグダな物語に対して、一点突破的に描写される東京大空襲のシーンは映像的な迫力も含めて「論点」を抑えた見事なシーンに仕上がっている。

今井正監督の思想的な譲れなさが稚拙に映る点もありつつ、作家性はきちんと窺えるところもあり、良いところと悪いところがはっきりあるが嫌いになれない映画ではある。
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