このレビューはネタバレを含みます
父を庇って判事に嘘をついた帰りの車で、気持ちを抑えながら、静かに涙を流しているテルメーに胸が詰まった。
母についていかずに父の方に残っていたり、「妊娠してたのを知ってたの?」と聞く時も責めるような言い方をしなかったり。
我慢の連続で辛かったはずだよね……
一方で、
「僕の過失だと思うならママを呼べ。
先方に示談金を払う。」
は、ズルいなぁ。
娘に決断させるなよ。
とはいえ、イランというある種、抑圧された国だからこそ、娘の将来を思う気持ちは、母・シミンと父・ナデルのそれぞれが真剣だったように見えた。
それを国の外に求めるか、この国で強く生きていく女性に育てるかの違い。
ナデルのガソリンスタンドでの振る舞いに、娘への強い愛情を感じたよ。
でも人間だから、嘘を重ねたり自己を正当化してしまうところもある。
そこでも「テルメーのため」という言葉を出してしまう二人に、人間の複雑さを感じましたね。
それぞれの小さな嘘が関係性を不可逆にぶっ壊していく。
スリラーや人間ドラマとして秀逸すぎる作品でありながら、検閲の厳しさを掻い潜るように、イラン社会へのメッセージを埋め込んでいるところが、この作品の最たる凄さなのだと思いました。
イスラムの世界では、信仰やそれに基づく模範的な行動があるわけですが、現代ではイメージしているよりもかなり形骸化されていると聞きます。
ナデルの家庭とラジエーの家庭がここまで争い、最悪な結末になったキッカケを考えてみると……
シミンが娘を連れて国外に行くと主張したから(だから家政婦を雇う必要があった)
見知らぬ人に介護など頼むことはできなかったから(だからラジエーに頼んだ)
車に轢かれて流産した可能性を夫にも隠していたから(だから夫の暴走を生んだ)
妊娠してたのは知らないと嘘をつき続けたから(だから示談金の話に乗ることもできず娘を苦しめた)
示談金を拒否したのにナデル一家がそれを持って家を訪れたから(ラジエーの家庭崩壊)
数え上げればまだまだありますが、全ての元凶がイスラム社会の中にあるとも言えます。
教育や自由の観点から将来を見据えた時に、シミンは娘を国内で育てることを良しとは考えていなかったのでしょうし、行き過ぎた男性社会が介護問題や夫婦間の仕事の問題を生んでいるのは確かですよね。
ラジエーは敬虔な信者だったので、示談金を拒否したこと自体は尊重されて然るべきだと思います。
ただ、
「信仰というよりは形骸化」しただけの男性社会や無駄な規範に意味はあるでしょうか?
生まれつき茶色い髪の毛の中学生の髪の毛を黒くする校則に意味はあるでしょうか?(すいません、関係ないの混じりました)
この物語の発端にあるのは、シミンが娘を連れて国外に出ようとしたことでもなければ、ナデルの父が認知症になってことでもない。
社会の規範の在り方が発端で、分断が起こっている。
その問題点を、検閲をうまく交わしながら問うているのだと思いました。
ずっと仲良くしていたテルメーのことをあんな目つきで見つめるソマイェ。これは一体誰のせいだよと。
ラストシーンは、どちらに付いていったということよりも、「結局、離れてしまった」という事実のみに焦点を当てているのだろうな。
乱暴に言えば、どっちに付いていこうが変わらない。
純真無垢なテルメーやソマイェにとって大切なものが壊れてしまった。その事実だけが確かなこと。
秀逸な脚本で犯人探し(真相探し)に巻き込んでおきながら、「犯人探しには意味ねーから」と突き放されるようでした。