ryosuke

ロスト・ワールド/ジュラシック・パークのryosukeのレビュー・感想・評価

4.6
 穏やかな浜辺から少し離れた場所で少女がコンプソグナトゥスに襲われる冒頭のシーン。一匹のみなら可愛らしい小さな恐竜だが、カットが切り替わった瞬間に大量の群れに囲まれている画を放り込みゾッとさせる。掴みはバッチリ。何故か世評は芳しくない本作だが、1に比べてテンポも良くなり、魅力的な見せ場に溢れている傑作だと思う。個人的には1よりも数段上。1と比較して恐竜の凶悪さ、パワーが増大しているのは、あくまでパーク内に囚われていた前作とは異なり、本作の恐竜は自然の中で本領を発揮することになるからだろうか。俳優については、ローランドを演じたピート・ポスルスウェイトが、恐竜ハンターを志すような人間のパーソナリティーにぴったりの良い面構え(ちょっと恐竜っぽい)で記憶に残った。
 例えばサラの体を掠っていくステゴサウルスの尻尾の危険さ、地響きと共にカメラに向かってくるステゴサウルスの重量感。ジープに突っ込むパキケファロサウルスの頭突きの重み。人間とはレベルの違うパワーがひしひしと伝わってくる。避難用の装置と森の木々を収めた大俯瞰ショットの中で、木が揺れることで恐竜の接近を示し、翼竜が飛び立っていくカットなど詩情すらあるな。
 トレーラーのシーンは、上下の空間をダイナミックに活用しながら、スピルバーグの真骨頂の引き伸ばしサスペンスがこれでもかという長さで披露される。娯楽映画でもこの辺りに濃密な作家性が出るのがスピルバーグだよな。ヒビが入っていく窓とジリジリとずり落ちていく電話によって二重にタイムリミットを設定して緊張感を煽る。それが解消したと思えば、今度は崖ににじり寄っていくタイヤ、限界を迎えようとする切り株に結ばれたワイヤー、泥に足を取られ転ぶエディを積み重ねて更に恐怖の時間を引き延ばす。『ジュラシック・パーク』シリーズの中で、恐竜不在で長い長いサスペンスをやる奇妙な選択の後、自動車の背後に二体のT-レックスが現れた際の絶望感。崖にぶら下がる主人公たちのもとまで、強烈な爆風によりタイヤが跳ね上がってくる。車中のエディを睨むT-レックスの目の恐ろしさ。空中に放り投げたエディを咥え直してその向きを変え、上半身と下半身を「分け合う」凶悪な描写が最高。
 とにかく一つ一つの恐竜襲撃シーンに魅力的なアイデアと魅せ方が詰まっていて、それだけで映画が駆動されるのがいいね。ディータがコンプソグナトゥスの群れに襲われるシーン。幾つかの方向から恐竜の主観ショットであるトラッキングショットが猛スピードでディータに迫り、続く俯瞰ショットの中で群れがディータに纏わりついているスピード感。一度は追い払われて倒木の上に整列している様子が可愛いなと思っていたら、恐竜の群れはディータを巨大な倒木の向こうに追いやり、二度と画面に映ることのないディータの最期は、水流に混ざる血によって示される。T-レックスに踏み潰されたカーターが足の裏にへばりついて何度も圧縮されるのも凄まじいし、滝の裏側に追い詰めたロバートが毒蛇に怯えてポジションを誤ると、機を逃さない殺戮者に捕えられたロバートは血の滝と化してしまう。
 ラプトル襲撃シーンの、四方八方から接近するハンターを踏み倒された草むらの軌跡で示す魅力的な俯瞰ショット。姿を見せないハンターによって素早く草むらに引き摺り込まれる恐怖、驚異的な跳躍力で草むらから飛び出して遂に姿を見せる瞬間。終盤のワーカー・ビレッジでのシーン、画面後方から脅威の跳躍力で姿を現しサラに飛びかかるラプトル。1では賢さが強調されていたように思うラプトルだが、本作では若干パワー系に変更されているようで、車の窓に顔を突っ込んで突破しようとする姿や、建物ドアへの激しい体当たりから、この細身の恐竜も人間とはレベルの違う怪物であることがひしひしと伝わってくる。穴掘り競争のカットバックで観客の注意を反対側のラプトルに逸らしておいて、脱出しようとする穴からラプトルの顔が出てくるショットはビビった。前作でもゾンビ映画よろしく壁を突き破るラプトルが出てきたし、このシリーズでジャンプスケアを担当するのはこの恐竜なのだろう。娘が体操選手であるという設定を少々笑ってしまうような、しかし映画的なアクションで回収する。サラが瓦をずらしてラプトルを撃退し、天井の穴から転げ落ちると構造物が崩落してそのままの勢いで窓を突き破り、すぐさまケリーとマルコムに抱え起こされ、その画面の中に救助のヘリが現れているという一連の流れのピタゴラスイッチ的な画面連鎖、手際の良い処理は正にスピルバーグ見てるなという感覚で良かった。
 ラストシークエンスが本当に素晴らしかったな。ルドローが建物外に出ると、画面奥で夜の闇の中からヌッと船が突き出してくる異様な画。結局こういうのが撮れるかどうかだと思う。T-レックスが「歓迎合衆国 動物持ち込み禁止」の看板を突き破ると、カメラの長い横移動が建物内の人々を映し出し、それを超えた先で、ビル群の夜景を背景にT-レックスが決めポーズを披露するロングテイクなんてたまらない。民家のプールで水を飲むT-レックス。窓外から覗く恐ろしい顔と少年の切り返し。今まさに捕食されようというタイミングの男の悲鳴が、「腹を潰されている」ことを露わにするように奇妙に歪んでいく。フィクションであれば誤魔化してもよさそうなその音の変化に残虐な美学が宿る。町にT-レックスが侵入するというそれ自体魅力的なシチュエーションに期待されることを軽々と超えていくスピルバーグ。本作の評判が悪いのは、大傑作『宇宙戦争』に対する理不尽な低評価にも通じるものがあるように思う。スピルバーグの真価は説教くさいヒューマニズムを交えたストーリーテリングではなく(いやストーリーテラーとしても優れているのは分かるんだけど)、瞬間瞬間のイマジネーション、センスだと思っている側としては、本作は紛れもない傑作だった。序盤に助けておいたT-レックスの子供が終盤の展開で因果として返ってくる、その程度の連関で物語は十分だろう。スピルバーグが語るべきことは、人間の支配を脱した恐竜たちを讃えるように、本作では抑制的に用いられてきた『ジュラシック・パークのテーマ』が遂に堂々と鳴り響くラストショットによって雄弁に語られているのだから。
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