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ライオン・キングのaのネタバレレビュー・内容・結末

ライオン・キング(1994年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

・本作は、ディズニー・ルネッサンス期に公開された映画のうちの一本である。その中でも本作は特に興行的に成功を収めた作品であり、『アナと雪の女王』(2013)が公開されるまで、アニメーション史上最高の興行記録を保持していた。VHSは累計で5500万本以上が販売されたが、この記録は破られることがなく、本作のVHSは世界で最も販売されたのだった。さらに、これまでにも本作は、ミュージカルとしてのリバイバルにより、米国で1997年、日本で劇団四季により1998年に上演が開始されて以降、その人気は留まることを知らず今でも上演がなされている。

・一応書いておくと、本作が脚本や画のタッチからして手塚治虫作品『ジャングル大帝』に似ている部分があるということで、これまでに国内では数度盗作疑惑(そうでなくても、参照したのではないかという疑問)が浮上しては消えを繰り返しているのだが、これには同作の出版時に手塚治虫自身が「ジャングル大帝は『バンビ』(1942)からインスピレーションを得た」と明言していることからして、真実の如何に関わらず本作の出自は、一定度ディズニーに存在していると言い切って良い。そうでなくとも、本作の内容というのは、『バンビ』(1942)の存在を、肉食動物という面に裏返して再構築した物語であるということは、映画を見慣れている人からすれば明らかなように思える。

・本作は神話のオマージュが色濃く残っている作品でもある。例えば、古代エジプト神話のオシリス家の神話では、王(ムファサ/オシリス)は嫉妬深い弟(スカー/セス)によって殺され、正当な後継者(シンバ/ホルス)は少年として亡命させられる。殺された王は幽霊となって息子を訪問・指導し、息子が成人となり世継ぎをするのに十分になると、父親を殺した犯人に復讐するために戻ってくる。シェイクスピアの『ハムレット』も同様に、父王の死で沈む王子ハムレットが、実は父の暗殺を仕向けたのが王位後継者である父の弟・クローディアスであるという事実を父の亡霊から告げられ、復讐を誓いクローディアスを刺殺する、という物語である(結局ハムレットは、結託した仲間の毒を誤飲して死んでしまう。この両成敗的な結末は当時新鮮だったので、以降同作のような物語は「悲劇」と位置付けられるようになった)。

・上のような、王子が修行して戻って王位継承を果たす、という物語は、いわゆる貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)というジャンルに分類される。本作はその中でも、かなりわかりやすい貴種流離譚モノなのだ。特に中盤、身分の低い動物たちと自然で暮らし、そこからハクナ・マタタという生き方を会得するところも、かなり貴種流離譚である。日本は王政(帝政)(大和朝廷)時代からほとんど外国との交流が無かったのでそこまでメジャーではない(それでも、日本神話の2大原典である『古事記』(712)と『日本書紀』(712)は、どちらもヤマトタケルの貴種流離譚的な英雄物語だ)が、海外では王と王政による国々がいくつも連なっている上、何より神と信仰も無数に存在するため、誰が王になり統治するのかというのは大変にヒロイックに描かれ、種々の神話との相性も抜群に描かれたのであった。

・つまり、本作の構造は、特に海外のおとぎ話的な観客のノスタルジーを刺激するような内容となっているのだ。興行的に異常な大成功と知名度を今でも誇っているのは、一番はここにあるのではないかと思う。

・なんと音楽は『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズや『TENET』『ダークナイト』『インセプション』『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン作品、そのほか諸々で今では大作曲家であるハンス・ジマーの出世作らしい!彼は「ライオン・キングでの経験は、プロのキャリアの中で最も偉大なものだ」と語っている。本作は何より音楽がやばすぎる。特にラストのバックで流れてくるサークル・オブ・ライフまでのアゲ感がやばすぎて、「これはハンス・ジマーに匹敵するくらいだな!」と思ったら、本当にハンスジマーでした。作風もハンス・ジマーにピッタリ過ぎる。ハクナマタタ近辺ももう最高。音楽は文句無しの満点、お釣りが来る映画です。

・スワヒリ語で、シンバは「ライオン」、ナラは「贈り物」、サラビは「蜃気楼」、ラフィキは「友人」、プンヴァは「単純/弱気」、シェンじは「野蛮」ということで、スワヒリ後からキャラクターの名前をとているそう。

・スカーは、ナラが彼のロマンチックなアプローチを無視したために成長済のライオンとしてプライドロックから追い出され、その後にシンバを見つけにくるというアイデアがあったが、このようなセクハラ(本当にsexual harassmentと書いてあった)は家族映画に不適切だと判断されたために、最終的に却下されたそう。本作でカットして『ノートルダムの鐘』では全くカットしないディズニーって、ちゃんと表現の塩梅を分かっていて最高。

・ムファサの死は実はもっと胸が張り裂けるような激烈なシーンとして用意していたのだが、観客の子供達が咽び泣いたため、トーンダウンしたらしい。それでもディズニー正史では『バンビ』(1942)と同じくらい悲しい死亡シーンとして、ディズニー屈指のネタにすらなっている。

・スカーの前を通過するハイエナの行進は、ヒトラーの演壇の前で更新するナチスからインスピレーションを得たものだそう。ここで急に軍国主義のメタファーが投入されるので、異常な高まりがあった(が、スカーとナチスを同一視するには少し根拠に乏しい気もする)。

・大人のシンバのたてがみは、ジョン・ボン・ジョヴィの髪からインスピレーションを得たとされている。たてがみがイケメンすぎてとても良かった。

・初期のドラフトでは、スカーはムファサと何の関連性もないならず者のライオンとして描かれていたのだが、作者はムファサには内なる脅威が必要だと考えたため、今の弟設定にしたらしい。これは貴種流離譚の限界なので仕方ないのだが、純粋に見ていると、スカーによる王位継承の阻害は、父親があまりに血統主義や世襲制に拘り抜いたことへの反発と重ね合わせられる余地が十分にあるわけで(父親がシンバを諭すシーンでさえ、父は亡霊になってもなお血統を非常に気にしている)、スカーの計らいが「悪」そのものと結びつくとはあまり思えず、むしろ『眠れる森のプリンセス』でのマレフィセントの次くらいには反旗を翻すだけの合理的な理由があるようにも思えてしまう。

・当初、ムファサは死後決して登場しない予定だったが、プロデューサーはシンバがプライドロックに戻るには理由が必要だと考え、霊的なシーンを導入したらしい。そこに賛否両論があるというのは分かるのだが、ここには獅子座が背景に輝いているらしく、そもそも夜空の星をライオンが見上げるシーンがかっこいいので、自分はアリだと思う。

・総評。まずは音楽が最高すぎます。サークル・オブ・ライフの本当にそう思わせる感は、目を見張るものがあると思いますし、劇的な場面での音の使い方は非常に洗練されており、素人の自分ですらハンス・ジマーの作り上げる音の太さに圧倒されます。『ジョーズ』が成功したときも、スピルバーグは「映画の成功の半分は音楽にかかっている。本作の成功はJ・ウィリアムズ(作曲家)のおかげだよ」と語る位なので、ハンス・ジマーが手がけた映画が軒並み大当たりするのも非常に大きな相関があるように思えてなりません。脚本については一家言あり、というのも、王位継承物語(ひいては権威礼讃的な物語)というのは根本的に映画という表現媒体にあまり向かないというのは常々思っているのですが、本作はシンバを取り巻く側があまりに王権奪取にしか興味がないために、相対的に反権威の象徴として十分に読解しうるスカーの存在感はかなり大きく(作り手の意図に反したようなカッコ良さを構造上内在しており)、また自分に則って生きることが使命のハイエナ達、ジャングルで楽しく隠居するティモンとプンヴァ、ここら辺のキャラクターが映画ファンとしては魅力的に見えてならないのです。小学生の頃修学旅行で劇団四季の演目にて本作を観劇した時は、漠然とスカーをもっとも好きなキャラクターとして記憶していた位なのですが、今見返すと、スカーの、邪悪に扱われているのに実は王権の方が牽強付会なシステムに溢れているから実は単にクレバーなところや、ティモンとプンヴァの突き抜けたコミューン的ヒッピー精神、またハイエナの個人主義的な存在感と、最高ですね。でも、個人的に一番好きなのはハクナマタタ期のシンバです。あのノリノリでジャングルを闊歩しているオスライオンという構図は今までに見たことがなかったし、足取りが軽くとても可愛かったです。あと、アフリカがアフリカ感しかないのも賛否が分かれるらしいですが、個人的にはこちらの方は思い切って大自然を魅せる方向にアニメをシフトしていた印象があるので、こちらは好印象でした。色々言いましたが、総じて、ディズニーがこれまでにしてきた動物描写の総決算みたいな映画でした。タテガミ描写だけでよく寝られそうです。ハクナ・マタタ内蔵差分シンバが一番好きかもしれない(ハクナマタタの紹介シーンは後にメスライオンに明確に否定されていたので、王政に立ち返るにはハクナマタタを捨象することが必要条件化されているのも、どことなく古代フィクションにおける王政システムの欺瞞を感じざるを得ないですが、全部サークル・オブ・ライフなのでOKなのです)。おやすみなさい。
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